2015年01月12日

【本】尾上太一「島を愛す 桃岩荘/わが青春のユースホステル」

「島を愛す 桃岩荘/わが青春のユースホステル」 尾上太一/響文社/2011年

 北海道礼文島のユースホステル、桃岩荘をテーマにした写真集。1999年から2010年にかけての写真71点を収録。全編モノクロ。

 旅人たちの間で広く知られた宿、桃岩荘を取り上げた写真集である。この桃岩荘は、かつての「ユースホステル文化」を色濃く残している宿で、昔ながらのミーティングや、スタッフ・宿泊者一体になっての歌と踊り、港での盛大な出迎え・見送りなどを今も続けているのだそうだ。その有り余るエネルギーから、「北海道三大きちがいユース」の一つに数えられた時代もあったようで、youtubeに多数投稿されている見送り動画(たとえばこれ)を見ても、その個性的な様子は十分に伝わってくる。

 こうした桃岩荘のバイタリティとは対照的に、本書は、極めて静かな雰囲気をたたえた写真集である。礼文島の海と空、静寂に包まれた浜、オフシーズンの建物群などを、そっと穏やかに切り取ったような写真の数々が、丁寧に収められている。本来賑やかであるはずのミーティングや見送りの場面も、まるで遠い日の大切な思い出であるかのような、懐かしい佇まいを見せた写真に仕上がっている。旅の最も美しい瞬間、永続しないものだけが放つことのできる輝きを、著者はその鋭敏な感性で見事に捉えている。

2015年01月11日

【本】是枝裕和「雲は答えなかった 高級官僚 その生と死」

「雲は答えなかった 高級官僚 その生と死」 是枝裕和/PHP文庫/2014年
(「しかし…」(あけび書房/1992年)、「官僚はなぜ死を選んだのか」(日本経済新聞社/2001年)を改題・加筆修正したもの)

 水俣病訴訟をめぐって、患者側の要求を拒否し続けなければならない役割を負わされた官僚が、良心との板挟みに苦しみ、ついに自殺するまでを追ったノンフィクション。

 1990年に自殺した環境庁企画調整局長、山内豊徳の生涯を描いた作品である。私が初めて彼のことを知ったのは、20歳前後の学生の頃だった。将来の進路にずいぶん迷っていた時期に、彼について書かれた本を読んで、こんな良心的な官僚がいたのかという驚きと、霞ヶ関という非情な世界への不信感を強く感じたことを覚えている。

 その後、彼と同じ大学・学部を卒業し、結局彼と同じ界隈に奉職して、十数年が経った。いま改めて本書を読んでも、山内氏が遂に失うことのなかった純粋さ、自らの仕事に対する誠実さに深く感銘を受けるし、それに比べて自分はどうか、と考えると忸怩たる思いに駆られる。ただ、その一方で、彼の行動にはところどころ極端な部分が見え隠れするようにも思えた。

 例えば、てんかんについて何ら福祉対策がとられていないことに疑問を持った山内氏は、厚生省障害福祉課長時代に、所管外であるにもかかわらず、課の部屋全体にてんかん協会のキャンペーンポスターを貼り巡らせたという。これは確かに素晴らしい心意気だと思うけれど、本来この課が手を差し伸べなければならない団体はたくさんあるはずだし、そうした団体への支援は慢性的に十分ではないはずである。そんな団体の人々がこの図を見たら、ちょっと違和感を覚えるんじゃないかな、という点は気に掛かった。

 また、水俣病訴訟に際して、担当局長の彼が原告団に和解勧告拒否の説明を行った後、原告の代表者に駆け寄って「分かってください」と頭を下げる場面がある。これも、山内氏の良心の表れとしてしばしば引用されるエピソードだけれど、あえて厳しい言い方をするならば、原告団の要求に全く応じられない以上は、その批判は黙って引き受けなければならなかったのではないか。頭を下げずにはいられない彼の気持ちは非常によく分かるし、個人的にはひどく共感するのだけれど、世の中には、そうした態度で簡単に救われようとしてはいけない種類の責任もあるのではないかと思う。

 思うに、こうした彼の姿勢は、その生い立ちに由来する側面があるのではないだろうか。幼いころに父親が戦病死し、母親は家から追い出され、彼は非常に厳格な祖父の下で育ったのだという。親から十分な愛情を受けることもなく、厳しい祖父の要求に応えなければ安定した生活が保障されなかったであろう少年期の家庭環境が、彼に対して、相手の要求にやや過剰に応えようとする人間性と、そうしなければ自分の生存基盤が脅かされるという漠然とした恐怖感を植え付けたのではないか。推測でしかないけれど、なんとなくそんなことを感じながらこの本を読んだ。

posted by A at 20:45| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

【本】岩川隆「人間の旗 甦った血と涙の連隊旗」

「人間の旗 甦った血と涙の連隊旗」 岩川隆/光文社文庫/1985年
(初版は、1983年にカッパ・ノベルスから刊行)

 太平洋戦争時にレイテ島、セブ島で戦った歩兵第57連隊の将兵が、終戦直後に連隊旗をひそかに細断して日本へ持ち帰り、戦後三十余年を経て旗を復元するまでの経緯を描いたノンフィクション。

 日本陸軍の精鋭師団として名高い第1師団(玉兵団)は、昭和19年、1万3千名の兵力でフィリピン・レイテ島に上陸した。そして、機械化された強大な米軍を相手に、実に50数日にわたりリモン峠の激戦を繰り広げたが、遂に矢尽き刀折れてセブ島へ撤退。戦後日本へ生還することができた師団将兵は、わずか500名に満たなかったという。

 この第1師団は、歩兵第1連隊(東京)、第49連隊(甲府)、第57連隊(佐倉)の歩兵3個連隊ほかの部隊から構成されていたが、各歩兵連隊にはそれぞれ、天皇の分身とされる軍旗(連隊旗)が与えられていた。敗戦後、各地の陸軍部隊は、連合軍に投降する前に軍旗を焼却処分したが、伝統ある軍旗の奉焼を潔しとしなかった第1師団では、3本の連隊旗(長年の歳月を経て、旗の生地の部分は失われ、房の部分だけになっていた)を細かく裁断し、連隊本部の将校・下士官などに託して、ひそかに日本へ持ち帰らせたのだった。

 そして一部の将兵は、連隊旗の切れ端を無事に故国へ持ち帰ることができた。これらの細片を、第1連隊は自衛隊練馬駐屯地に展示し、第49連隊は山梨の護国神社に奉納したが、千葉県全域を補充担任地とし、郷土部隊の気風が強い第57連隊では、旗を復元すべしとの声が湧き起こった。本書は、旗の復元運動に携わった元将兵たちの、戦中・戦後の足跡を丁寧に追い掛けたノンフィクションである。

 本書の中では、連隊旗の復元にかける戦友会の情熱や、採算度外視で旗の修復に挑む職人たちの奮闘が鮮やかに描き出されていて、読む者の心を打つ。と同時に、あの戦争への嫌悪から、旗の復元に強く反対する元将校の意見にも目配りがされている。どの人物も一様に平和を希求しながらも、それぞれの戦争体験や人生観の違いから、旗をめぐる姿勢や旧軍への評価に乖離が生じていく様子には、いろいろと考えさせられるものがあった。

posted by A at 19:51| 本(戦記) | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

【本】金邦夫「金副隊長の山岳救助隊日誌」

「金副隊長の山岳救助隊日誌 山は本当に危険がいっぱい」 金(こん)邦夫/角川学芸出版/2007年

 警視庁青梅警察署山岳救助隊の副隊長として、長年にわたって奥多摩で山岳救助に携わってきた著者が、平成14年から18年ごろにかけての救助活動の様子を、自分の感想や意見を交えながら綴った本。

 奥多摩の山は標高も低く、都心から近いこともあって、気軽に登山に来ることができる。そのため、安易な気持ちと不十分な装備で山に入った登山客が遭難事故を起こし、救助を求めてくる場合がある。ひどい時は、日没や疲労を理由に救助要請を行うハイカーもおり、そのたびに山岳救助隊が出動させられることになる。著者は本書の中で、登山客の軽装ぶりや心構えの甘さに繰り返し苦言を呈しているけれど、いくつかの遭難記録を読む限り、著者が怒るのは当然と思えた。

 ただ、そうした手厳しい指摘を含みながらも、本書の読後感は決して悪くない。それは、著者が山に対して抱く温かい感情が、本書を通底して流れているからではないかと思う。「仙人」と呼ばれるユニークな山小屋管理人とのやり取りや、廃集落の幻の滝を訪ねる記録は読んでいて愉しいし、四季折々の自然をいとおしむ文章は、著者の繊細な審美眼をうかがわせるものである。救助した遭難者に対しても、その行動の甘さを指摘しつつも、「山に登るということは素晴らしいことなんだけど、自然に挑戦するには危険が伴う。それなりの装備と知識がなければだめだ」と教え諭したり、「山を志す若者を失いたくない」と、負傷者の回復を心から祈ったりする。そこにあるのは、言葉はぶっきらぼうでも心根は優しい、古きよき「山ヤ」の姿である。

2014年11月02日

【本】魚谷祐介「日本懐かし自販機大全」

「日本懐かし自販機大全」 魚谷祐介/辰巳出版/2014年

 今では絶滅危惧種となってしまった、うどん・そば、ハンバーガー、トーストサンドなどのレトロ自販機の現状を調査し、その設置場所などを紹介した本。

 昭和の香りが漂うフード自販機への、濃密な愛情にあふれた本である。現在ではすっかり見かけなくなってしまった懐かしい自動販売機たちを、全国規模で地道に調べ上げ、その設置店舗や機種、オーナーへのインタビュー、機械を修理する職人さんとの対談まで含めて掲載している。ちなみに、今でも現役で稼働しているうどんやそばの自販機は、全国でわずか約80台。ハンバーガーの自販機に至っては10数台、トーストサンドもたった20台弱で、いずれの機械も既に製造が中止されているのだそうだ。現存する自販機たちに残された時間も、もう決して長くはないのかもしれない。

 また、本書の下敷きになった著者のサイトでは、レトロ自販機が設置されているドライブインなどへの訪問記録を、動画でも紹介している。その分量の多さに著者の労力がしのばれるが、例えば、全国で2台しか残っていない津上弁当自販機を訪ねる動画は、郊外の夕景と、著者の叙情的な自作BGMがうまくマッチしていて、雰囲気のある作品に仕上がっている。

 かつてこれらの自販機が、当たり前のように日常に溶け込んでいた時代があった。近所の自販機コーナーで、あるいは家族で立ち寄った山間のドライブインで、クリーム色の安っぽいプラスチック容器に入ったうどんを、妙に短い割り箸で食べた記憶が私にもある。あのころはさして美味いとも思わなかったうどんも、もう簡単に出会うことはできないのだと気づくと、どことなく切ない思い出に変わってくる。これら昭和の名自販機は、過ぎてしまった懐かしい時代の記憶を呼び起こす、一種の触媒装置なのかもしれない。

posted by A at 11:59| 本(その他) | 更新情報をチェックする