2017年07月08日

【本】山口耀久「山頂への道」

「山頂への道」 山口耀久/平凡社ライブラリー/2012年
(初版は、2004年に平凡社から刊行)

 山岳文芸の世界に携わってきた著者が、1955年から2001年までの間に発表した紀行文や登山評論を、一冊の本にまとめた散文集。

 自らも先鋭的な登山を行うとともに、山の文芸誌「アルプ」の編集委員を最終刊300号まで務めた著者による、登山エッセイ・評論集である。文才豊かな著者は、「アルプ」や「岳人」などで多数の登山批評を執筆してきたほか、山岳文学の重鎮たちとも広い交流を持ち、尾崎喜八や辻まことらの作品解説も行っている。また、深田久弥が代表作「日本百名山」を刊行する際には、深田本人から依頼を受け、同書に掲載する山岳地図も作成している。

 このような著者の文芸活動記録は、在りし日の山岳文学界の雰囲気を知る上でも貴重なものであるが、本書の中で楽しく読めるのは、やはり著者自身の紀行文であろう。本書の前半部分に収録されている登山エッセイは、友人が霧ヶ峰に山荘(コロボックル・ヒュッテ)を開いた話や、健康回復のために芝の愛宕山に通い詰めた話、あるいは、北海道・礼文島で放火騒ぎに巻き込まれた話など、さまざまなバリエーションに富んでいて興趣が尽きない。

 そして、それらの紀行文の中で特に目を惹くものとして、10代後半の戦中の頃に、神奈川県の丹沢山域に通い続けた話が挙げられよう。ひどい食糧難の中、投宿した西丹沢の民家でもらった貴重なふかし芋を携えて、難しい沢に果敢に挑む記録は、瑞々しさにあふれていて新鮮な印象を残すものである。こうした随筆にも表れている著者の優れた感性が、個性派が顔を揃えた戦後の山岳文学の世界の中で、「アルプ」に重要な結節点の役割を果たさせたのではないかと思う。


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2017年06月24日

【本】鈴木忠平「清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実」

「清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実」 鈴木忠平/文藝春秋/2016年

 PL学園当時の清原和博と甲子園で対戦し、ホームランを打たれた投手らによる回想録。

 1983年から85年にかけて、甲子園で清原に本塁打を打たれたピッチャーら11人が、当時の勝負の思い出や現在の清原への思いを述懐した本である。本塁打を打たれたという、必ずしも愉快ではない記憶に関するインタビューでありながら、一名(マスコミとの接触を一切断っている中山裕章)を除く全投手が取材に応じた事実を見ても、清原という大打者との対戦が、投手の側にとっても大きな意味を持っていたことが分かる。

 それぞれの投手たちの追想を読むと、清原と全力で対戦し敗れたことで、すっかり気持ちの整理がついている者もいれば、選手起用の綾で清原とまともに勝負することができず、現在まで後悔を引きずっている者もいるなど、投手たちにもさまざまな思いがあることが見て取れる。中でも、勝負すべき時に勝負できなかったことに関して、30年経っても消えない未練を述べたある投手の執念には、ちょっとした恐ろしささえ覚えさせられた。

 個人的には、清原という選手はずっと好きになれなかった。高校・西武時代はともかく、巨人時代に、相手投手に対してストレートを投げるよう恫喝した姿は、プロの野球選手としては到底あるまじき態度だと思った。また、オリックス時代の、およそスポーツマンとはかけ離れた風貌には、率直に言って嫌悪感しか抱くことはできなかった。

 しかし、本書を見ると、清原と対戦した投手たちには、かなり過酷なプレッシャーがかかっていたことがよく分かる。一試合でのみ清原と向き合った投手たちがこんな状態であれば、毎試合、いや試合の外でも凄まじい注目にさらされ続けた清原には、一体どれだけ深刻な重圧がかかっていたのだろうか。本書にも描かれているように、元々気さくで親切な性格だった清原が、苛烈なプレッシャーの中で、やがて人として疲れ果てたとしても、そのことを厳しく糾弾したい気にはなれなかった。本書を読み終えた今、清原和博という人物に対して抱くのは、ただ同情の思いと、更正への願いばかりである。


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2017年05月21日

【本】山内進「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」

「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」 山内進/講談社学術文庫/2011年
(初版は、1997年に講談社選書メチエから刊行)

 バルト3国を中心とした北東ヨーロッパへの、キリスト教拡大の歴史を著した本。1998年、サントリー学芸賞受賞。

 中世ヨーロッパにおいて、カトリックがどのように北東ヨーロッパ方面に浸透していったのか、その歴史的経緯を書き記した一書である。我々日本人にとって、あまり馴染みの無い地域をテーマにした本であることもあり、本書に登場する人物や地名には、見覚えのないものが結構多い。それでも抵抗なく本書を読み進めることができるのは、このような疎遠な主題を一般向けに分かりやすく記すことに成功した、著者の叙述の腕による部分が大きいのではないかと思う。この点も、本書がサントリー学芸賞を受けるに値すると見なされた、重要な理由の一つに挙げられるのではないか。

 本書の中では、11〜13世紀頃を中心に、ドイツの騎士修道会がバルト三国に対して、キリスト教を「布教」していく様子が詳述されている。すなわち、「十字軍」の騎士たちが、キリスト教を受容しない異教徒たちを、何のためらいもなく虐殺・略奪・奴隷化していくのだが、こうした彼らの姿は、端的に言えば傲慢で独善的と評するほかないものである。これが正義とされるのであれば、そもそも宗教とはいったい何のために存在するものなのか、という根本的な疑念を抱かずにはいられなかった。

 そして、北東ヨーロッパ方面のキリスト教化がおおむね完了した15世紀頃以降になると、キリスト教化、ひいては「ヨーロッパ化」の矛先は、世界の他の地域に向かっていくことになる。本書から引用すると、

「今日のバルト三国に派遣された十字軍とその思想は、アフリカとアメリカへの「ヨーロッパの拡大」のひな型を提供するものであった。(中略)イベリア半島とバルト海域で鍛えられた「ヨーロッパ拡大の論理」は、とりわけ新たに「発見」された、インディオやアメリカ・インディアンといった、比較的プリミティブな異教徒たちから支配権と財産権、信仰と自由を奪うことに貢献した」

のである。このような捉え方にはさまざまな議論があるのかもしれないが、いずれにせよ、世界の中では一辺境地域に過ぎないバルト地域の動きが、やがて世界史全体に波及していくという本書の視座は、確かに興味深いものだった。


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2017年04月23日

【本】戸部田誠「1989年のテレビっ子」

「1989年のテレビっ子」 戸部田誠/双葉社/2016年

 1970年代の終わり頃から90年代の中頃までを中心に、テレビのバラエティ番組の栄枯盛衰を描いた本。

 たけし・さんま・タモリの「ビッグ3」や、80年代始めのマンザイブームを担った漫才師たち、80年代後半以降に飛躍したとんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンなどのタレントたちの足跡を辿りつつ、数々のテレビ番組の栄光と没落の軌跡を追いかけた一書である。我々視聴者にはうかがい知れないテレビ番組の裏面や、関係者の苦悩と成功が、著者の該博な知識を踏まえて見事に描き出されている。文中に引用されている文献の量も膨大で、テレビに対する著者の愛着の深さを推し量ることができる。

 本書の中で目を引く場面としては、やはり土曜8時の枠を巡る熾烈な競争、いわゆる「土8戦争」が挙げられるだろう。王者として君臨する「8時だョ!全員集合」に挑む「欽ちゃんのドンとやってみよう」、「全員集合」にとうとう引導を渡した「オレたちひょうきん族」、そして「ひょうきん族」を終焉に追い込んだ「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と、視聴率30%台が当たり前のお化け番組がしのぎを削る様子が、関係者の回想も含めてクリアに描かれている。精緻に作り込まれた笑いである「全員集合」へのアンチテーゼとして、「完成されたものの破壊」を打ち出して成功した「ひょうきん族」が、「全員集合」の終了により急速にパワーを失い、ついには自分自身の役割をも終えてしまったという分析は、往時の番組を思い出してみても、確かにそうかもと思わせられるものがあった。

 この他にも本書には、現在では大御所と呼ばれるようになった芸人たちの、若かりし頃の試行錯誤や努力の記録が詳しく綴られていて興味深い。彼らの行跡を軸にして、様々な番組を線でつないだ著者の視点は、テレビに対する深い愛情を持った人でなければ持ち得ないものだろう。すっかりテレビが元気を失ってしまった今、著者があえて80年代前後にクローズアップした本書を著したのは、テレビがもっとも輝いていた最後の時代に対する、ある種の郷愁も作用したのかもしれないな、と思った。


posted by A at 18:51| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

【本】鬼窪善一郎 語り「新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち」

「新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち」 鬼窪善一郎 語り・白日社編集部 編/山と渓谷社/2016年

 戦前から平成初期にかけて、北アルプスの黒部源流地域を舞台に、猟師やボッカ、ガイドなどの山仕事で生計を立てた人物のオーラルヒストリー。

 登山黎明期の北アルプスを描いた名著「黒部の山賊」にも、「山賊」の一人として登場している、鬼窪善一郎氏の赤裸々な口述記録である。長野県北安曇郡に生まれた鬼窪氏が、貧しい暮らしの中で職を転々とした後、山に関わりながら生きていく人生行路が、非合法な密猟行為のことなども含めて率直に語られている。かなり濃厚な方言で綴られているので、少し読みづらい部分はあるが、そのぶん臨場感にも満ちあふれた本である。

 本書の冒頭部分では、まず鬼窪氏の前半生や、昭和10〜20年代に彼が携わった数々の遭難救助の模様が描写されている。ヘリコプターもない時代に、どのように疲労した登山者を救出し、また、どのように山で遺体を処理したのか、彼の証言はかなり生々しく、ややショッキングでもある。そうした証言の中には、礼節を欠いた被救助者に対する非難の口吻も含まれているが、北鎌尾根のような危険な場所での救助活動にも骨身を惜しまなかった彼の言葉は、耳を傾けずにはいられない重みを持つものであろう。

 そして、本書の後半では、北アルプスでのクマやカモシカなどの猟の実態が、極めて細密に語られている。極寒と豪雪の中での狩猟記録を読むと、山の達人であるはずの鬼窪氏でさえ、すんでのところで何度も命を拾っていることが分かる。鬼窪氏の名前も出てくる山本茂実の著作「喜作新道」(角川文庫)では、彼以上の名猟師とも言える小林喜作の遭難死の模様が詳しく描かれているが、彼らのような熟練の猟師ですら、その生死は運に左右される面があったのだろう。猟とはこんなに危険な営みなのか、ということを改めて印象付けられた一書だった。


posted by A at 19:01| 本(登山、鉄道、旅) | 更新情報をチェックする