2015年04月29日

【本】大森望・豊ア由美「文学賞メッタ斬り!」

「文学賞メッタ斬り!」 大森望・豊ア由美/ちくま文庫/2008年
(単行本は、PARCO出版から2004年に刊行)

 評論家・書評家の著者二人が、芥川賞・直木賞といった大どころから地方の無名文学賞まで、有象無象の文学賞について遠慮なく論評した一書。

 刊行当時によく売れ、人気シリーズにもなった文学賞評論本である。元々の執筆目的は、世間に数多存在する文学賞の紹介・解説だったらしいけれど、各賞の選考過程や選考委員の実態についても容赦なく筆誅が加えられており、むしろそうした毒舌の方が面白い。石原慎太郎や宮本輝、津本陽といった大作家に威厳のない渾名をつけたり、「文学が読めていない」「そもそも候補作を読まずに選考している」などという身も蓋もない講評が行われたりしていて、よくこんなことを公刊本で書けたな、と感心させられるばかりだ。

 読者の側としても、大御所や新進気鋭の作家たちがバッサバッサと切り捨てられていく有様を見ると、なんとなく根拠のない優越感に浸ることができて楽しい。そうした密かな悦びも、この本をヒットさせた理由の一つなのかもしれない。ただ、クリエイティブな才能など全くない私のような読者が、産みの苦しみを引き受けながら執筆をつづけている小説家たちを、馬鹿にする資格など本来ないのかもしれない。愉快な気分で読めた本だけれど、なんとなくほろ苦い読後感もないわけではなかった。

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2014年11月02日

【本】魚谷祐介「日本懐かし自販機大全」

「日本懐かし自販機大全」 魚谷祐介/辰巳出版/2014年

 今では絶滅危惧種となってしまった、うどん・そば、ハンバーガー、トーストサンドなどのレトロ自販機の現状を調査し、その設置場所などを紹介した本。

 昭和の香りが漂うフード自販機への、濃密な愛情にあふれた本である。現在ではすっかり見かけなくなってしまった懐かしい自動販売機たちを、全国規模で地道に調べ上げ、その設置店舗や機種、オーナーへのインタビュー、機械を修理する職人さんとの対談まで含めて掲載している。ちなみに、今でも現役で稼働しているうどんやそばの自販機は、全国でわずか約80台。ハンバーガーの自販機に至っては10数台、トーストサンドもたった20台弱で、いずれの機械も既に製造が中止されているのだそうだ。現存する自販機たちに残された時間も、もう決して長くはないのかもしれない。

 また、本書の下敷きになった著者のサイトでは、レトロ自販機が設置されているドライブインなどへの訪問記録を、動画でも紹介している。その分量の多さに著者の労力がしのばれるが、例えば、全国で2台しか残っていない津上弁当自販機を訪ねる動画は、郊外の夕景と、著者の叙情的な自作BGMがうまくマッチしていて、雰囲気のある作品に仕上がっている。

 かつてこれらの自販機が、当たり前のように日常に溶け込んでいた時代があった。近所の自販機コーナーで、あるいは家族で立ち寄った山間のドライブインで、クリーム色の安っぽいプラスチック容器に入ったうどんを、妙に短い割り箸で食べた記憶が私にもある。あのころはさして美味いとも思わなかったうどんも、もう簡単に出会うことはできないのだと気づくと、どことなく切ない思い出に変わってくる。これら昭和の名自販機は、過ぎてしまった懐かしい時代の記憶を呼び起こす、一種の触媒装置なのかもしれない。

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2014年10月05日

【本】筒井正明「英文解釈その読と解」

「英文解釈その読と解」 筒井正明/駿台文庫/1987年

 駿台予備校の英語講師が上梓した、英文解釈の受験参考書である。受験生時代にいろいろな英文解釈の本を活用したけれど(伊藤和夫とか)、その中でも本書はかなり手ごわい一冊だった。知恵をしぼって一生懸命訳文を書き上げても、簡潔にして要を得た訳例には似ても似つかず、自分の和訳の下手さ加減を何度も呪わしく思ったものだった。著者の本業が英文学の大学教授で、海外小説の翻訳を何冊も手がけていることを知ったのは、受験が終わってからずいぶん後のことだった。

 本書は構文や文法の解説を実に丁寧に行っていて、これだけでも優れた参考書と呼ぶことができる。けれど、本書の最大の特質は、採録された英文の良質さにあるのではないか。10代後半の、ちょうど人生を思い悩む時期の若者の心に届く、ピンポイントな文章が厳選されている。著者の解説も、技術的な指導にとどまらず、苦しい期間を過ごす受験生への思いやりにあふれていて、受験参考書の枠内に収まらない良書と言えるのではないかと思う。

 その一例として、本書に取り上げられた25編の英文の中から、「恥ずかしがり屋はいけないの?」という1編の英文と訳例、解説の一部を抜粋してみる。「構文理解」のほかに「内容理解」の解説があるのが、本書の大きな特徴であろう。


(英文)「恥ずかしがり屋はいけないの?」
 It is surely discreditable, under the age of thirty, not to be shy. Self-assurance in the young betokens a lack of sensibility : the boy or girl who is not shy at twenty-two will at forty-two become a bore. ‘I may be wrong, of course’-- thus will he or she gabble at forty-two, ‘but what I always say is…’
 No, let us educate the younger generation to be shy in and out of season, for shyness is the protective fluid within which our personalities are able to develop into natural shapes. Without this fluid the character becomes merely standardized or imitative ; it is within the tender velvet sheath of shyness that the full flower of idiosyncrasy is nurtured ; it is from this sheath alone that it can eventually unfold itself, coloured and undamaged. Let us shy understand, therefore, that their disability is not merely an inconvenience, but also a privilege. Let them regard their shyness as a gift rather than as an affliction. Let them consider how intolerable are those of their contemporaries who are not also shy.

(訳例)
 30歳に達してないのに恥ずかしがり屋でないというのはいかにも恥ずべきことである。若者が自信たっぷりなのは、ある感受性の欠如を示している。22歳で恥ずかしがり屋でない若者は42歳のときには退屈な人間になってしまう。「そりゃあ私ももちろん、まちがっているかもしれないけど、でもねェ、私がいつも言ってることは…」と、42歳のとき、そういう連中はしゃべってることだろう。
 そう、若者には絶えず内気であれと教えようではないか。それというのも、内気さこそが人間個性がその本来の形へと成長していく過程を護ってくれる保護液だからである。これなくしては、個性も単にありきたりのものか、借りものとなってしまう。個性という満開の花が養われるのは、内気さという柔らかなベルベットのおおいのなかであり、その花が色あざやかに傷を受けることなく花開いてくるのも、そのおおいのなかからだけである。だとすれば、恥ずかしがり屋の人には、その内気さが単に不便なものであるばかりか、一つの特権でもあることを理解させよう。おのが内気さは苦しみであるよりもむしろ天から授かった贈りものだと考えるようにさせようではないか。内気な若者には、自分と同世代の内気でない連中がいかに耐えがたい人間であるか考えさせてみよう。

(解説(内容理解))
「…30歳前の若者が地位や名誉、あるいは価値ある業績などをもっているはずがない。ところで人間の自信とはそういう自分の成就した具体的な価値から生じてくるものであるのだから、「若者の見せる自信」とは、根拠のないものに対して自信をもっていることになる。若者は自惚れるべくいったい何をなしたというのか?何かをなすのはこれからだ。傍若無人の厚かましい自惚れ屋の若者というのは、したがって、ある精神の稀薄さ、より深いものに対する感受性が欠如しているようだと筆者は言う。逆にいうと、恥ずかしがり屋の若者は自己の内に自分独自の精神、つまり個性の成育の可能性を感じながら、いまだその成育が具体的な現実の形をとっておらず、外界に対する違和感と、内部のそういう不確実さから、他者に対しては恥ずかしがり屋にならざるをえないということになる。厚顔無恥の若者は内部における個性の成長を感じてないから、厚かましく振舞うことができるのだ。…
 真の自己・真に自分が信ずべきものを模索し、遅々としてはいてもたしかな自己の発見を目指している者は、その形成期たる青春期には、当然のことながら、他者に対して恥ずかしがり屋になる。あたかも個としての肉体的な誕生において羊水という保護液がその成長を護ってくれたごとく、独自の個性としての精神的な誕生においては内気さという保護液がその成長を護ってくれる。…
 すぐれた精神の持ち主で、若い時にそういう対人関係の苦しさに悩まなかった人は一人もいない。むしろ内気さはgift(「才能」よりも本来の「天からの贈りもの」の訳の方がいいかもしれない)であると考えよう。35歳を過ぎれば、たいがいの人間は図々しくなる。そのとき、真の個性の成熟に基づいた自信をもてるようにしようではないか。」

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2013年10月14日

【本】ばるぼら「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」

「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」 ばるぼら/翔泳社/2005年

 日本のインターネット草創期から2004年頃までの、ネット文化の興隆と発展の経緯を詳述した本。

 「これはものすごい本である」――巻末の解説に記された大森望氏のこの一言が、本書の業績の偉大さを明快に物語っている。90年代初頭以降、インターネットの世界でどんな人々がどんなサイトを立ち上げ、それがどのような影響を及ぼしていったのかについて、驚異的な綿密さで記録した一書である。その恐るべき情報量と質を目の当たりにすれば、著者が執筆に費やしたであろう時間と労力の膨大さに、ただ頭を下げずにはいられなくなる。

 「教科書には載らない――」と銘打たれている通り、本書は、インターネットをめぐる政治や経済の動きなどではなく、名もなきユーザたちが作り上げたサイトの数々や、そこから派生したサブカル的なムーブメントの説明に主眼を置いて編集されている。こうした書物は、ややもするとマニアックな事実の羅列になりがちであり、予備知識のない読者にとって、本書は決して面白い読み物ではないかもしれない。しかし、我が国のインターネット文化史を振り返るにあたり真に注目しなければならないのは、まさにこういったネット上のリアルな活動記録であろう。将来において、インターネット勃興時代のユーザが何を考え、どうネットを活用したのかを検証する際に、本書は必要不可欠な基礎資料となるに違いない。

 本書刊行後も、インターネットの世界にはtwitterや各種SNSが登場するなど、極めてドラスティックな変化が続いている。SNSの普及によりネット上の発信主体が拡散する中で、もはや本書のような形でのネット史の編纂は難しいのかもしれないけれど、ともかく、ネット黎明期に著者のような卓越した記録者が存在したことは、日本のインターネット史上において、大きな僥倖であったと言えるのではないか。

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2013年10月13日

【本】山本益博「味な宿に泊まりたい」

「味な宿に泊まりたい」 山本益博/新潮文庫/1998年

 料理評論家として知られる著者が、全国の高級旅館・老舗旅館の中から、料理自慢で風格のある宿を吟味して紹介した本。

 本書に登場するのは、京都の「俵屋旅館」を始めとした、庶民には容易に手が出ないような高級旅館の数々である。上等な食材をふんだんに使った料理や、贅を尽くした宿の施設、細かいところまで配慮の行き届いたサービスなどを見るにつけ、個人的には全く縁のない別世界の話と思うほかない。ただ、過剰な気配りに否定的だったり、途中で立ち寄った街角のラーメン屋も美味しければ褒めたりするなど、金銭的価値の高低にとらわれない著者の率直な講評は、なかなか小気味良いものであるように思えた。

 ネットで調べる限り、著者の言行には一部で批判があるようである。そうした噂の真偽はよく分からないが、さまざまな料理や旅館の美点を端的に捉え、その魅力を分かりやすく伝える著者の技術は、このような批判とは切り離して評価すべきものであろう。高級料理に臨むとき、どういう着眼点で料理に向き合えばよいか、あるいはハイグレードなサービスをどのように受け止めればよいか。私のように、美食の世界には何の興味も知識もなかった人間にとっては、そういった基礎をうかがい知る参考書にもなる一書である。

posted by A at 09:07| 本(その他) | 更新情報をチェックする