2018年03月04日

【本】伊丹恒「復刻版 幌加内 −厳寒の地の生活鉄路・深名線とともに−」

「復刻版 幌加内 −厳寒の地の生活鉄路・深名線とともに−」 伊丹恒/共同文化社/2011年
(初版は、1996年に刊行)

 かつて北海道に存在したローカル線・深名線と、その沿線に生きる人々の姿を収めた写真集。

 1995年に廃線となった深名線と、その周辺地域の様子を撮影した写真集である。この深名線は、北海道中北部の山中と田園地帯を走る、全長約120kmのローカル線だったが、その7割近くは広大な雨竜郡幌加内町に位置していた。幌加内の町について、本書は以下のように解説している。

「幌加内は東京から1,300km、北緯44度の地に位置する北海道空知支庁管内北端の町であり、石狩川の支流である雨竜川に沿った集落を抱えているため東西に24km、南北に63kmと長細い形をしている。面積は766.65㎢で大阪府の4割にも達する広大なものであるが、そこに住む人口は平成8年5月現在、2,400人という道内でも有数の過疎地帯となっている。周囲を雨竜川の源ピッシリ山をはじめとする1,000m級の山々に囲まれた盆地となる各集落の気候は通年の温度差が70度にもなり、夏は高温多湿、冬は酷寒多雪と非常に厳しく、特に昭和53年に母子里(もしり)で記録された−41.2度という気温は「日本最寒の地」として幌加内の名を一躍有名なものにした。」

 このような過疎地域を走る深名線は、ほとんど乗客がいないことから「空気輸送」などと揶揄され、既に昭和55年の時点で、100円の利益を生みだすのに2,852円の経費を要する大赤字路線となっていた。そうした非効率な深名線が、国鉄末期の廃線ラッシュを生き延び、1995年まで存続した理由は、ひとえに沿線の道路事情の悪さによるものだった。71年間続いた鉄路がついに終焉を迎えたのは、1991年に名母トンネルが開通して、深名線の並行道路がようやく整備された、その4年後のことだった。

 本書は、こうした深名線の情景や、厳寒・豪雪の地で列車運行のために努力する鉄道員たち、質朴な生活を営む沿線住民たちの姿を捉えた写真集である。本書に収められた数々の写真からは、在りし日のローカル線の雰囲気とともに、幌加内に暮らす人々の生活ぶりを窺い知ることができる。写真の中に捉えられた、住民たちの強さや朗らかさ、そして温かさを湛えた表情は、厳しい生活環境の中で、地に足を着けて生きる人々ならではのものなのだろう。そして、この地に愛着を感じ、何度も通い続けた伊丹氏だからこそ、こうした人々の姿を引き出すことに成功したのではないかと思えた。


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2016年01月24日

【本】北浜駅勝手連 編「北浜の駅から」

「オホーツク海のほとり 北浜の駅から 旅情へのメッセージ」 北浜駅勝手連 編/1984年

 北海道・釧網本線の北浜駅に設置されていた「落書きノート」に、旅人たちが残していった書き込みを、一冊の本にまとめたもの。

 網走市のはずれ、オホーツク海のほとりにある北浜駅は、駅の間近まで流氷が押し寄せることで有名であり、昔から多くの旅人が訪れている。そうした旅人たちが、駅に置かれた「落書きノート」に書き残していった思い出を、一つの本に編集したのが本書である。傑作ノンフィクションとして名高い「北の無人駅から」(渡辺一史著/北海道新聞社)の中で言及されていたのを見て、興味があって入手してみた。

 本書刊行当時、北浜駅には既に23冊分の「落書きノート」が残されていたそうだが、本書には、主に昭和58年1月〜59年2月ごろの書き込みが抜粋・収録されている。同駅は59年2月29日に無人化されているので、その直前期の記録ということになる。最後の駅長となった田中勝美氏の、「なんとか旅の思い出を冊子に」という願いを受けて、有志たちが編集・刊行したのが本書なのだそうだ。出版社が書かれていないので、あるいは自費出版なのかもしれない。

 本の内容は、旅人たちが駅のノートに記していった旅の感動や思い出が、ただひたすら綴られているだけのものである。ストーリーも何もない、見方によっては平板な本だけれど、1980年代中頃の若者たちの、旅空の下での思いや悩みが率直に書き残されていて、意外に興味深い一冊になっている。この北辺の駅に、文字通り全国から旅人が集まってきていたことや、駅員たちとの交流など、当時の旅事情も間接的に窺い知ることができる。この時代の若者たちの感性や旅の雰囲気を、巧まずして捉えてみせた、思いのほか貴重な一書なのではないかと思う。

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2015年09月12日

【本】込山富秀「「青春18きっぷ」ポスター紀行」

「「青春18きっぷ」ポスター紀行」 込山富秀/講談社/2015年

「学校を卒業すると、春は黙って行ってしまうようになる。」

 春、夏、冬の一時期、JRの駅に、ローカル線の美しい風景を捉えたポスターが貼り出される。JRの普通列車を乗り放題で利用できる切符、「青春18きっぷ」の広報ポスターである。1990年夏から2015年春までの期間に使われた、この秀麗なポスターの数々を、一冊の写真集としてまとめたのが本書である。

 本書に掲載されたポスター群を眺めると、そこに収録された日本各地の明媚な風景や、森や川や海の情景の美しさが、見る者に鮮やかな印象を残す。また、鄙びた駅のホームや、風吹く海岸の線路脇などに配置された旅人の姿を見ると、自分自身もそこを訪ねてみたいという強い衝動に駆られてしまう。毎日利用する味気ない駅で、このような旅情に溢れたポスターを見せつけられるのは、正直、ちょっとした目の毒である。

 また、そうした風景の美しさとともに、これらのポスターを名作品たらしめているのが、写真に添えられた珠玉のコピーであろう。冒頭に掲げたのは、1999年春のポスターで使われた、個人的に最も好きなコピーである。旅の世界への憧憬、まだ知らない風景への期待を、あの頃の自分は確かに持っていたはずだった。そうした瑞々しい感情も、社会人として働く中で、もうすっかり失くしてしまって久しい。

posted by A at 17:25| 本(鉄道) | 更新情報をチェックする

2015年05月31日

【本】磯部定治「只見線物語」

「只見線物語」 磯部定治/恒文社/1989年

 日本一の豪雪地帯を走るローカル線、只見線の全面開通までの経過を描いたノンフィクション。

 福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶローカル線、只見線の敷設経緯を取り上げた本である。著者が小出町出身で、長く越南タイムズ社の記者を務めたこともあって、主に新潟側からの視点に立った構成となっている。地元の取材を長く続けてきた著者の手によって、地域政治家たちの熱心な建設運動や沿線住民の暮らしの変化などが、臨場感をもって描き出されていて興味深い。

 大正9年に「柳津−小出間の鉄道敷設促進に関する陳情書」が国に提出され、昭和10年に着工した只見線は、戦争資源となる硅石や木材の搬出の目的もあって、まず昭和17年に小出駅〜大白川駅間が部分開通した。この開業は、沿線住民にとっては大きな喜びだった。豪雪の4〜5か月間はバスも通らず、徒歩以外の交通手段がなかった村々にも、大雪をかきわけて毎日汽車が来てくれる。只見線は地域に不可欠な交通手段として機能し、昭和30年代後半には、定員80人程度の客車に350人を詰め込み、3両編成1,000人の乗客で運行することもあったのだそうだ。

 その後、国鉄の赤字ローカル線の廃止議論が喧しくなっていく中で、住民たちは只見線の全線開通を郷土の政治家・田中角栄に託す。折から進みつつあった過疎化を、この全通で打開しようとしたのだった。国鉄の赤字体質が強い批判にさらされる中で、既に大赤字線であった只見線の建設を続行することは、時の権力者である田中の力なくしては到底不可能であったろう。そして、ついに昭和46年に、只見線全通は達成されたのだった。

 ところが、只見線の建設と並行して、沿線地域でも道路の改良・無雪化工事が進められていた。そして皮肉なことに、只見線の全通と時を同じくして、周辺町村にもようやく車社会が到来したのだった。住民たちは只見線の開通に熱狂したが、ちょうどこの全通の時期を境に只見線の乗客はどんどん減り出し、あれほど待望された鉄道路線は、あっという間に住民たちの意識から遠のいていってしまったのである。

 平成23年に発生した豪雨のため、現在、只見線の会津川口駅〜只見駅間の営業は休止されている。この区間の平成21年度の営業係数が6700であり(営業収益約500万円、営業費約3億3,500万円。すなわち、1年間で約3億2,900万円という膨大な赤字)、さらに復旧費用として約85億円を要することが見込まれることもあって、この資料を見ても、JR東日本は再開通に消極的な姿勢であるように思える。この国が水と緑の国であることを強く実感させられる、あの美しい只見線の車窓風景の一部が失われることは本当に残念だけれど、それこそ田中角栄のような横紙破りの政治力でもない限り、復旧への決定打はなかなか見出し難いのかもしれない。

posted by A at 09:48| 本(鉄道) | 更新情報をチェックする

2014年09月13日

【本】「廃線跡懐想 北海道編」

「廃線跡懐想 北海道編」 宮脇俊三(巻頭紀行)ほか/JTB/2002年

 北海道各地に残る、廃線跡や鉄道遺構の姿を収録した写真集である。現地を訪ね、廃線跡の現状を調べたライター達の訪問記も掲載されていて、読み物としても非常に面白い。刊行から既に十数年が経過しているため、本書で取り上げられた遺構の中には、もう撤去されてしまったり、自然の中で朽ち果ててしまったものも少なくないのではないかと思う。

 本書の中の美幸線の項には、以下のような記述がある。

「明治初期、鉄道は都会と港、炭鉱と港を結ぶ所に建設されていった。やがて日本列島の骨格のように線路をのばし、さらにその幹線から毛細血管状に支線が列島を覆う。美幸線もそんな細い血管の一つだった。しかし、美深から北見枝幸までの鉄道はあまりにもスタートが遅すぎた。美深〜仁宇布の開業が昭和39年。その先も工事は続けられたが、部分開業した美幸線自体「日本一の赤字線」として有名になる結果となった。すでにその命脈は尽きていたのだ。美幸線の廃止は昭和60年。完成が近かったコンクリートの路盤はここでも自然の中に果てようとしている。」

 本書に登場する数々の廃線跡も、明治以来の北海道開拓の潮流が辿りついた結末の一つなのかもしれない。本書表紙のタウシュベツ橋梁や、ヒグマが棲む森の中に放棄された名羽線のコンクリート橋、今にも崩れ落ちそうな天北線の廃駅舎などの姿を見ると、先人たちが描いた僻地開拓の夢の末路を、まざまざと見せつけられるようで寂しい。

 それにしても、廃線跡や廃墟のような崩壊の途上にあるものは、どうしてこれほど不思議な美しさを宿すのだろうか。草に埋もれて錆びついた線路や、森の中に無機質な残骸をさらす橋梁などは、どれも神秘的な魅力と形容しがたい懐かしさを放ってやまない。ある物が失われようとする時ほど、その価値が強く再認識される、ということなのだろうか。

posted by A at 13:40| 本(鉄道) | 更新情報をチェックする