2017年05月21日

【本】山内進「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」

「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」 山内進/講談社学術文庫/2011年
(初版は、1997年に講談社選書メチエから刊行)

 バルト3国を中心とした北東ヨーロッパへの、キリスト教拡大の歴史を著した本。1998年、サントリー学芸賞受賞。

 中世ヨーロッパにおいて、カトリックがどのように北東ヨーロッパ方面に浸透していったのか、その歴史的経緯を書き記した一書である。我々日本人にとって、あまり馴染みの無い地域をテーマにした本であることもあり、本書に登場する人物や地名には、見覚えのないものが結構多い。それでも抵抗なく本書を読み進めることができるのは、このような疎遠な主題を一般向けに分かりやすく記すことに成功した、著者の叙述の腕による部分が大きいのではないかと思う。この点も、本書がサントリー学芸賞を受けるに値すると見なされた、重要な理由の一つに挙げられるのではないか。

 本書の中では、11〜13世紀頃を中心に、ドイツの騎士修道会がバルト三国に対して、キリスト教を「布教」していく様子が詳述されている。すなわち、「十字軍」の騎士たちが、キリスト教を受容しない異教徒たちを、何のためらいもなく虐殺・略奪・奴隷化していくのだが、こうした彼らの姿は、端的に言えば傲慢で独善的と評するほかないものである。これが正義とされるのであれば、そもそも宗教とはいったい何のために存在するものなのか、という根本的な疑念を抱かずにはいられなかった。

 そして、北東ヨーロッパ方面のキリスト教化がおおむね完了した15世紀頃以降になると、キリスト教化、ひいては「ヨーロッパ化」の矛先は、世界の他の地域に向かっていくことになる。本書から引用すると、

「今日のバルト三国に派遣された十字軍とその思想は、アフリカとアメリカへの「ヨーロッパの拡大」のひな型を提供するものであった。(中略)イベリア半島とバルト海域で鍛えられた「ヨーロッパ拡大の論理」は、とりわけ新たに「発見」された、インディオやアメリカ・インディアンといった、比較的プリミティブな異教徒たちから支配権と財産権、信仰と自由を奪うことに貢献した」

のである。このような捉え方にはさまざまな議論があるのかもしれないが、いずれにせよ、世界の中では一辺境地域に過ぎないバルト地域の動きが、やがて世界史全体に波及していくという本書の視座は、確かに興味深いものだった。


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2016年04月10日

【本】川口琢司「ティムール帝国」

「ティムール帝国」 川口琢司/講談社選書メチエ/2014年

 14〜15世紀ごろの中央アジアに覇を唱えたティムール帝国の、歴史や政治構造、文化などについて概説した一書。

 「マー・ワラー・アンナフル」と呼ばれるオアシス地帯から勃興し、小アジアからインドにまたがる大帝国に発展した、ティムール帝国の足跡を追った本である。著者の言を借りれば、ティムール帝国は「室町時代のわが国と直接的なつながりをまったくもたなかった」こともあり、日本において広く関心を持たれているとは言いがたい。そうした帝国の歴史や国家像などを、中央ユーラシア史の専門家である著者が、一般向けに平易に解説しようと試みたのが本書である。

 まず、本書の第1章から第3章では、希代の英傑ティムールがどのようにこの大帝国を建設していったのか、その過程が詳述されている。こうした勢力興隆の時期は、歴史ドラマなどでは最も興味を惹く場面であるが、いかんせん高校世界史レベルの知識では聞き慣れない人物名や勢力名が頻出し、正直なところ、本書を読んでいても内容がさっぱり頭に入ってこない。ウィキペディアの「ティムール」、あるいは「ティムールの征服戦争」の項で、関連項目を参照しながら知識を仕入れた方が、全体像はつかみやすいかもしれない。

 ただ、帝国周辺勢力との激しい攻防の様子を眺めていると、様々な王朝や遊牧民族が入り乱れる中央アジア地域で、このような一大帝国を建設することがいかに困難な事業であったかを、ひしひしと実感することはできる。こうした覇権国家の出現は、やはりティムールという一代の英雄による、偶発的な産物の側面が強いのではないか。彼の死後、帝国の権力が、帝都を中心とする中央政権と複数の地方政権に事実上分散し、やがて分裂・滅亡の途を辿っていったことは、この複雑な地域で継続的に帝国を運営していくことの困難性を物語るものではないかと思えた。

 また、本書の後半では、ティムール及び彼の帝国が、どのように自らの権威の正統性を構成・主張していったかについて、詳しく解説がなされている。ティムール帝国がチャガタイ・ウルスフレグ・ウルス、つまりモンゴル帝国を継承する国家であると位置づけたり、時には系図を創作したりもしながら王権の大義名分を整えていく過程は、歴史上の権力者たちが行ってきた、他のいくつかの類例を想起させるものでもある(たとえば、モスクワ大公国がローマ帝国の後継を自任したり、徳川氏が新田氏の後裔を自称したりした例など)。このような権威の箔付け作業に見られる、洋の東西を問わない不思議な類似性・共通性は、読んでいて興味深い部分である。


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2015年07月19日

【本】森茂暁「闇の歴史、後南朝」

「闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉」 森茂暁/角川ソフィア文庫/2013年
(単行本は、角川書店から1997年に刊行)

 1392年の南北朝合一後の南朝勢力の動静と、彼らによる北朝側への抵抗運動などについて著した本。

 室町三代将軍足利義満が主導した明徳の和約により、南北朝時代に長く続いた持明院統と大覚寺統による皇位の両立は、ひとまず解消されることになった。ところが、このときの両統迭立の約束は反故にされ、以後の天皇位は、北朝系の持明院統が独占していくこととなった。このような事態を前にして、南朝側の皇位継承者や遺臣たち(いわゆる後南朝)がどう抵抗し、そしてどのように歴史の闇に消えていったのかを、史料に即しながら丹念に解説したのが本書である。

 南北朝合一が実現した後、応仁の乱の頃まで、後南朝勢力の反抗は散発的に発生した。例えば、南朝最後の天皇となった後亀山上皇の吉野出奔(1410年)、伊勢国司北畠満雅の挙兵(1414年及び1428年)、南朝遺臣が内裏に乱入して三種の神器の一部を奪った禁闕の変(1443年)、応仁の乱の際に山名宗全が南朝の末裔(いわゆる西陣南帝)を担いだ事案(1471年ごろ)などが挙げられる。これらの事件の背景を見ていくと、後南朝の抵抗の動機は、皇位が継承されなかったことへの反発というだけでなく、経済的な困窮状態に置かれたことへの抗議や、室町政権下での勢力争いの中で一方の旗印に担ぎ上げられたことなど、様々な要素が絡み合った結果であることが見て取れる。

 ちなみに、この本を初めて読んだのは単行本刊行当時だったのだが、こういうマニアックなテーマの本が、16年も経って文庫本になっていようとは思わなかった。史料が極めて少なく、登場人物や勢力の末路が明らかでないケースも多い後南朝は、案外、読者のロマンを駆り立てやすいモチーフなのだろうか。東北方面での脇屋義則新田貞方らの抵抗や、河内・大和付近での楠木正勝一族の活動、あるいは、史学的な信憑性は低いが、美作後南朝(植月御所)や三河・遠江方面の後南朝伝説なども、個人的には掘り下げてみたいテーマである。

posted by A at 15:02| 本(歴史) | 更新情報をチェックする