2019年02月17日

【本】坂井孝一「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」

「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」 坂井孝一/中公新書/2018年

 朝廷と幕府のパワーバランスを大きく変え、武家政権が政治的な実権を掌握するきっかけとなった「承久の乱」について概説した本。

 「後鳥羽上皇が鎌倉幕府に無謀な戦いを挑み、あっけなく返り討ちにあった」というイメージで語られがちな承久の乱について、乱の発生に至る経緯やその影響を詳しく読み解いた一書である。後三条上皇の院政開始以降、「治天の君」たる上皇・法皇がどのように権力を確立し、その過程で武家がどのような役割を果たしたかを分かりやすく整理しつつ、争乱を引き起こした後鳥羽上皇の心象風景に迫ろうとしている。著者の語り口が平易で読みやすいうえ、勅撰和歌集の編纂や有職故実の整理など文化的な側面にも幅広く目配りされており、知的好奇心をかき立てられる内容となっている。

 本書によれば、三種の神器の一つである宝剣を壇ノ浦に沈められてしまい、「正統な王」たるには重大な欠格事由を背負ってしまった後鳥羽は、「新古今和歌集」の編纂や宮廷儀礼の復興などの文化事業でそれらをカバーし、朝廷の権威確立に向けて強力なリーダーシップを発揮する。しかし、良好な関係を築いていた鎌倉幕府の源実朝が暗殺されたうえ、幕府内の権力争いから発展した謀反事件に巻き込まれて大内裏焼失という挫折経験を味わう。そして、大内裏再建に向けた賦課に対して、全国の地頭などから強い抵抗を受けて苛立ちを募らせた後鳥羽上皇は、幕府をコントロール下に置くために、その実権を握る北条義時追討の院宣を出すに至ったのだった。こうした著者の解釈が、歴史学の専門家の間でどの程度有力な説とされているかは承知していないが、少なくとも、具体的な史料に立脚した一つの議論の展開として興味深く拝読した。

 また、乱が勃発した後、迅速に東国武士の結束を固めることに成功した鎌倉幕府と、諸事に拙劣な対応をとった朝廷の姿は極めて対照的である。著者は前者を、情勢や戦力を分析する有能な裏方(大江広元・三善康信)、裏方の提言を採用する名監督(北条政子)、的確な指示を選手に伝えるキャプテン(北条義時)、経験豊富な中心選手(北条時房・三浦義村)、若手のホープ(北条泰時)らから成る「チーム鎌倉」と捉え、強固な結束力と優れた総合力を持ったチームとして高く評価する。これに対して後者は、なまじ後鳥羽が多芸多才だったために、後鳥羽が監督・裏方・キャプテンを務めるワンマンチームとなり、東国武士に対するリアリティを欠いた後鳥羽が独断専行でチームを運営することとなったと分析している。そして、ここに乱の勝敗を分けるポイントがあったと評価しており、乱の推移の細部を見るにつけ、こうした著者の認識は的確なものであるように思えた。史料に現れるさまざまな事実から、ある事件の政治的な背景や因果関係を解明していく歴史学の一つの楽しさを、本書のこうした考察から教えられたように思った。

posted by A at 21:07| 本(歴史) | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

【本】両角良彦「1812年の雪 モスクワからの敗走」

「1812年の雪 モスクワからの敗走」 両角良彦/講談社文庫/1985年
(初版は、1980年に筑摩書房から刊行)

 1812年に行われ、無惨な失敗に終わった、ナポレオンのロシア遠征の模様を描いた本。

 1812年6月24日、47万5千(兵数は諸説あり)の大軍でポーランドからロシアに侵攻し、同年12月14日、わずか5千の兵力でロシアからポーランドに帰り着いた、ナポレオン軍の悲惨な遠征の経過を追った本である。著者は、太平洋戦争中にミンダナオ島で戦った両角業作中将(第30師団長)の子息であり、在フランス日本大使館勤務などを経て、1971年から73年まで通産省事務次官を務めている。城山三郎「官僚たちの夏」に登場する、牧のモデルとなった人物としても知られている。

 昔読んだトルストイの「戦争と平和」では、ナポレオンのロシア侵攻の失敗は、大きな歴史の流れの中でもたらされた、必然的な帰結といったようなイメージで描かれていた記憶があるのだけれど、本書は、遠征から奇跡的に生還した将兵の手記や、先行する研究などを踏まえつつ、史実に即した実証的な描写を心がけている。これらは両書の手法の違いであり、優劣をつける性質のものではないと思うけれど、遠征の当事者たちの具体的な証言を丹念に収集した本書は、その内容の説得力において、確かに一目置かれるべき作品と思う。

 また、本書については、その優れた構成力も見逃せない点である。自信に満ちあふれた遠征のスタートから、酸鼻を極めた結末まで、読み手を引き込むストーリー展開が組み立てられている。特に、本書の半分の分量を費やして描かれている凄惨な撤退行の様子は、生還を期待できない兵士たちの絶望感をありありと感じさせるものであり、著者の卓抜した文才をうかがわせる内容となっている。官僚という、人文学的な素養とは距離のある仕事を続けながら、どうやって著者はこのような筆力を育てたのか、興味を惹かれる部分ではある。

posted by A at 22:38| 本(歴史) | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

【本】松谷健二「カルタゴ興亡史 ある国家の一生」

「カルタゴ興亡史 ある国家の一生」 松谷健二/中公文庫/2002年
(初版は、1991年に白水社から刊行)

 古代地中海世界で通商国家として繁栄した、カルタゴの歴史を描いた本。

 紀元前9世紀ごろに現在のチュニジアに興り、紀元前146年にローマに滅ぼされた、海洋国家カルタゴの通史である。歴史ものの新書や文庫本の中には、マニアックな史料の解釈にこだわり、その界隈の通説を否定することに血道を上げている(=読んでいて全然面白くない)本がしばしば見られるけれど、本書は、700年に及ぼうとするカルタゴ史を平易な口調で解き明かしていて、非常に読みやすい。世界史に興味のある人であれば、面白く読める本ではないかと思う。

 カルタゴの長い歴史の中で、最もドラマチックな場面は、史上名高いハンニバルの遠征と、そして国家としてのカルタゴの最期であろう。ハンニバル敗戦の後、半世紀にわたり屈従の期間を耐えてきたカルタゴは、ローマの奸計に騙され、ついに最後の一戦に立ち上がることになる。その場面を、本書は以下のように描いている。

今度の戦争に勝てると思っていたカルタゴ人はひとりもいなかっただろう。ほどほどの戦果をあげ、講和にもちこもうとの甘い考えもなかった。全員玉砕。念頭にあったのはそれだけ。ときに前149年。
 武器はすべてさしだしてしまったので、急遽生産にかかる。寺院など公共の建物を工場とし、市民たちは夜を日についで、ありあわせの材料から、最後の戦いのための道具をつくった。日産として楯百、剣三百、投げ槍五百。それに投石用のカタパルト。そのロープには女たちが髪の毛を供出した」

 こうして覚悟を固めたカルタゴは、3年にわたる孤立無援の籠城戦を戦い抜き、ついにローマ軍によって滅ぼされる。市民は虐殺され、わずかに生き残った5万人は奴隷として売られ、都市カルタゴは徹底的に破壊される。永遠に人が住めず、作物も育たないように、跡地に塩まで撒かれたというエピソードはよく知られている。交易によって繁栄を築き上げてきた、それまでのカルタゴの歴史と対比すると、とりわけ諸行無常の感が深い最後である。


posted by A at 23:11| 本(歴史) | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

【本】山内進「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」

「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」 山内進/講談社学術文庫/2011年
(初版は、1997年に講談社選書メチエから刊行)

 バルト3国を中心とした北東ヨーロッパへの、キリスト教拡大の歴史を著した本。1998年、サントリー学芸賞受賞。

 中世ヨーロッパにおいて、カトリックがどのように北東ヨーロッパ方面に浸透していったのか、その歴史的経緯を書き記した一書である。我々日本人にとって、あまり馴染みの無い地域をテーマにした本であることもあり、本書に登場する人物や地名には、見覚えのないものが結構多い。それでも抵抗なく本書を読み進めることができるのは、このような疎遠な主題を一般向けに分かりやすく記すことに成功した、著者の叙述の腕による部分が大きいのではないかと思う。この点も、本書がサントリー学芸賞を受けるに値すると見なされた、重要な理由の一つに挙げられるのではないか。

 本書の中では、11〜13世紀頃を中心に、ドイツの騎士修道会がバルト三国に対して、キリスト教を「布教」していく様子が詳述されている。すなわち、「十字軍」の騎士たちが、キリスト教を受容しない異教徒たちを、何のためらいもなく虐殺・略奪・奴隷化していくのだが、こうした彼らの姿は、端的に言えば傲慢で独善的と評するほかないものである。これが正義とされるのであれば、そもそも宗教とはいったい何のために存在するものなのか、という根本的な疑念を抱かずにはいられなかった。

 そして、北東ヨーロッパ方面のキリスト教化がおおむね完了した15世紀頃以降になると、キリスト教化、ひいては「ヨーロッパ化」の矛先は、世界の他の地域に向かっていくことになる。本書から引用すると、

「今日のバルト三国に派遣された十字軍とその思想は、アフリカとアメリカへの「ヨーロッパの拡大」のひな型を提供するものであった。(中略)イベリア半島とバルト海域で鍛えられた「ヨーロッパ拡大の論理」は、とりわけ新たに「発見」された、インディオやアメリカ・インディアンといった、比較的プリミティブな異教徒たちから支配権と財産権、信仰と自由を奪うことに貢献した」

のである。このような捉え方にはさまざまな議論があるのかもしれないが、いずれにせよ、世界の中では一辺境地域に過ぎないバルト地域の動きが、やがて世界史全体に波及していくという本書の視座は、確かに興味深いものだった。


posted by A at 22:28| 本(歴史) | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

【本】川口琢司「ティムール帝国」

「ティムール帝国」 川口琢司/講談社選書メチエ/2014年

 14〜15世紀ごろの中央アジアに覇を唱えたティムール帝国の、歴史や政治構造、文化などについて概説した一書。

 「マー・ワラー・アンナフル」と呼ばれるオアシス地帯から勃興し、小アジアからインドにまたがる大帝国に発展した、ティムール帝国の足跡を追った本である。著者の言を借りれば、ティムール帝国は「室町時代のわが国と直接的なつながりをまったくもたなかった」こともあり、日本において広く関心を持たれているとは言いがたい。そうした帝国の歴史や国家像などを、中央ユーラシア史の専門家である著者が、一般向けに平易に解説しようと試みたのが本書である。

 まず、本書の第1章から第3章では、希代の英傑ティムールがどのようにこの大帝国を建設していったのか、その過程が詳述されている。こうした勢力興隆の時期は、歴史ドラマなどでは最も興味を惹く場面であるが、いかんせん高校世界史レベルの知識では聞き慣れない人物名や勢力名が頻出し、正直なところ、本書を読んでいても内容がさっぱり頭に入ってこない。ウィキペディアの「ティムール」、あるいは「ティムールの征服戦争」の項で、関連項目を参照しながら知識を仕入れた方が、全体像はつかみやすいかもしれない。

 ただ、帝国周辺勢力との激しい攻防の様子を眺めていると、様々な王朝や遊牧民族が入り乱れる中央アジア地域で、このような一大帝国を建設することがいかに困難な事業であったかを、ひしひしと実感することはできる。こうした覇権国家の出現は、やはりティムールという一代の英雄による、偶発的な産物の側面が強いのではないか。彼の死後、帝国の権力が、帝都を中心とする中央政権と複数の地方政権に事実上分散し、やがて分裂・滅亡の途を辿っていったことは、この複雑な地域で継続的に帝国を運営していくことの困難性を物語るものではないかと思えた。

 また、本書の後半では、ティムール及び彼の帝国が、どのように自らの権威の正統性を構成・主張していったかについて、詳しく解説がなされている。ティムール帝国がチャガタイ・ウルスフレグ・ウルス、つまりモンゴル帝国を継承する国家であると位置づけたり、時には系図を創作したりもしながら王権の大義名分を整えていく過程は、歴史上の権力者たちが行ってきた、他のいくつかの類例を想起させるものでもある(たとえば、モスクワ大公国がローマ帝国の後継を自任したり、徳川氏が新田氏の後裔を自称したりした例など)。このような権威の箔付け作業に見られる、洋の東西を問わない不思議な類似性・共通性は、読んでいて興味深い部分である。


posted by A at 13:09| 本(歴史) | 更新情報をチェックする