2019年01月26日

【本】上明戸聡「日本ボロ宿紀行」

「日本ボロ宿紀行」 上明戸聡/鉄人文庫/2017年

 日本全国の「ボロ宿」、すなわち、年季の入った趣のある宿に泊まり、その印象を書き綴った本。

 ビジネス書関係のライターを本業とする著者が、全国の「ボロ宿」を訪ね、そこに宿泊した感想や、その土地のひなびた雰囲気などを書き著した本である。各地の古い旅館を泊まり歩いた記録としては、大穂耕一郎の「駅前旅館に泊まるローカル線の旅」という名著が過去に出ているけれど、本書もそれぞれの宿の風情を丁寧に描き出していて、優れた紀行文となっている。全体的に、泊まった宿の長所や見どころを探し、そこで働く人々に敬意を払いながら各々の旅館を捉えており、その点も本書が良い読後感を残す理由となっているのだろう。

 本書に紹介されたそれぞれの宿の中には、地方都市で時折見かけそうなオーソドックスな駅前旅館タイプのものから、強烈な個性を湛える秘境の宿まで、さまざまな性格のものがそろっている。後者のものとして特に印象に残ったのは、北関東・那須湯本のとある旅館である。外観はほぼ廃墟、廊下の壁はぼろぼろにはがれていてホラー小説を想起させるレベル、窓から見える風景は山奥の緑と大きなホテルの廃墟、だけれど泉質は抜群で地元のおっちゃんたちに愛されているという、個人的にも相当惹かれる温泉宿である。こうした特徴ある宿の様子を、時にユーモアを交えつつ、軽妙に綴っていく著者の筆致には、次第になくなりつつある古びた旅館への愛情がこめられていて味わい深い。本書の続編も刊行されているようなので、いずれ読んでみたく思っている。

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2018年10月08日

【本】祐嶋繁一「秘境・南アルプス深南部 逡巡山行記」

「秘境・南アルプス深南部 逡巡山行記」 祐嶋繁一/山と渓谷社/2015年

 南アルプス深南部というマイナーな山域に通い続けた著者が、その登山記録の中から印象的なものをピックアップしてまとめた本。

 1994年から2014年までの21年間で、実に412回の登山を行い、そのうち207回が南アルプス深南部への訪問だったという著者の山行記録集である。まともに登山道もなく、他の登山者にさえ出会わないような原生林の山々を、ただ一人、あるいは気心の知れた仲間と二人だけで歩き続けた記録は、山歩きを趣味とする人にとっては実に興味深い内容である。こうした意欲的な登山を行ってきた著者が、後に静岡エフエム放送の社長・会長という要職を務めている事実も、また驚かされるものである。

 この南アルプス深南部という地域について、著者は、本書の中で以下のような印象を述べている。

「深南部を一言で表現すると、『地味で静かな山域』だ。それはこの山域の置かれた位置によるものだろう。首都圏や関西圏はもちろん、距離的にはそれほど遠くはない中京圏からも、地図で見た以上にアプローチが面倒である。日帰り登山の場合はコースが制限されるし、泊まりの場合は山小屋がないのでテント泊にならざるを得ないことも影響している。高山の花に出会うことも少ない。ともかく地味で渋い山域である。
 ルートは踏み跡が不明瞭なところも多く、はっきりとした尾根歩きならともかく、広い稜線や下りルートでのあいまいな分岐では、ルート選択に相当の注意を要する。また、分岐等の標識はほとんどなく、2万5000分の1地形図、コンパス、高度計の携帯は必須で、常に自分の歩いている位置を把握していることが絶対条件となる」

 このような山域であることから、そもそも南アルプス深南部をメインに取り上げた書籍は珍しく、近年では、永野敏夫氏の著作などごく少数のものに限られている。そうした事情からか、本書の内容も、ルートの様子や所要時間など、登山の参考となるような情報の紹介に重点が置かれている観があり、やや業務的なレポートのような印象もないわけではない。ただ、後に続く登山者にとっては、それこそが貴重な記録であることは言を俟たない。本書に収録された山行記は大変稀少で、かつ実用的なものであり、これを自費出版で世に出した著者の労苦は高く評価されるべきであろう。

 ちなみに私自身は、テント泊装備を担いで、畑薙から茶臼岳(2,604m)、易老渡から光岳(2,592m)に登ったことがある程度で、深南部の核心の山々を歩いた経験は全くない。学生の頃からずっと、この静かな山域を憧れにしているのだが、仕事の多忙さや距離の遠さ、技術の未熟さを言い訳にして、長い間先送りにしたままになっている。本書を読み返しながら、いつかは深南部の山々をじっくり歩いてみたいものだと願っている。

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2018年08月25日

【本】宮田珠己「四次元温泉日記」

「四次元温泉日記」 宮田珠己/ちくま文庫/2015年
(初版は、2011年に筑摩書房から刊行)

 全国各地の温泉宿、特に、建て増しなどによって迷路化した改造建築の旅館を訪ね歩いた旅行記。雑誌での連載記事を単行本化したもの。

 増築を重ねたユニークな温泉旅館に泊まり、その感想を書きつづったエッセイである。著者自身が、服を脱ぐのも面倒、湯につかるのも退屈という風呂嫌いの人物であり(なぜこんな人に温泉巡りの仕事など依頼したのだろうか)、あまり温泉の泉質などには興味がなさそうな様子で筆が進んでいくが、それぞれの旅館を斜に構えた目線で捉えていく著者のやり方も、それはそれで愉しいものである。

 風呂嫌いにもかかわらず(あるいは、風呂嫌いだからこそ)、著者は、そもそも温泉旅行とは何なのかということを、本書の中で正面から考察しようとしている。この本の冒頭には、以下のような記述がある。

「…温泉なら、ずっと宿にいてもいいのではないか。
 ただ宿でゴロゴロしていても、そこに温泉があれば、温泉に入りにきたのだから宿から出ないでも何も問題はない、という理論が成り立つのではあるまいか。
 そうか、人は温泉に入りに行くのではない。何もしないために、温泉に行くのだ。
 迂闊だった。なんということだ。温泉は、何もしない旅の、大義名分だったのだ。それでみんな温泉温泉と騒いでいたのか。
 温泉不感症の私も、そういうことなら話はわかる」

 こうした発想の下に、著者は全国の温泉を巡りつづけ、ついにはすっかり温泉好きになってしまう。そういった著者の転向に大きな影響を与えたのは、やはり本書に登場する、数々の個性的な温泉旅館であろう。これらの旅館の中で、私自身が訪ねたことがあるのは奥那須の北温泉だけだが、ここの建物はどういうわけか、廊下の壁などに変なもの(日露戦争の作戦地図とか、天狗のお面とか)が沢山ぶら下がっていて、だいぶ面食らった記憶がある。こういった非日常的で風変わりな世界と、上質な温泉を体験しつづければ、著者のように温泉に興味がない人であっても、その認識が変わっていくのは自然な成り行きではないかと思った。

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2018年06月03日

【本】宮田珠己「旅の理不尽 アジア悶絶篇」

「旅の理不尽 アジア悶絶篇」 宮田珠己/ちくま文庫/2010年
(初版は、1995年に新風舎から刊行)

 当時サラリーマンだった著者が、仕事の合間に海外を旅して回った体験を、ゆるいタッチで綴った旅行記。

 著者の独特な感性が光る、コミカルな旅日記である。アジア諸国を訪ねた経験を、著者一流のユーモアと自虐と皮肉で味付けし、面白おかしい一書に仕立てあげている。テイストとしては、ラジオ番組や雑誌のハガキ職人とか、(少し古いが)人気テキストサイトのようなノリに近いかもしれない。こういったタイプの笑いが好きな人は、本書にもハマるのではないかと思う。

 有名大学を出て、有名企業に就職したはずの著者は、どこで道を踏み外したか、「会社員として当然の権利である有給休暇を取得したり、その他当然じゃない権利もいろいろ取得したり」して、海外を旅しつづけるようになる。旅に魅せられたり、そのまま旅の世界に沈没してしまったりする人は、世の中に一定数いるように思うけれど、そうした旅の楽しさを巧みな表現で伝えられる人は、やはり稀少であろう。著者は、そんな旅の快楽や意義を、多少の毒も織り交ぜながら、ユニークな旅行記としてまとめている。ちょっと読み手を選ぶかもしれないけれど、読んで愉快な本である。

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2017年11月04日

【本】羽根田治ほか「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 低体温症と事故の教訓」 羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉/ヤマケイ文庫/2012年
(初版は、2010年に山と渓谷社から刊行)

 2009年7月に発生した、トムラウシ山遭難事故の実態を詳しく検証した本。

 18名のツアー登山パーティ(ガイド3名含む)のうち、実に8名もの死者を出した、トムラウシ山遭難事故の実像に迫った本である。生還した登山客らの証言を基に、パーティの行動経過を詳細に解き明かすとともに、本事故の検証委員会「トムラウシ山遭難事故調査特別委員会」にも参加した医師などの専門家が、気象・医学・運動生理学の観点から充実した解説を行っている。読み応えのある一冊である。

 本書の中では、やはり第1章「大量遭難」が、最も読者の関心を惹く内容であろう。山岳遭難事故に関して多数の著作があるライターの羽根田治氏が、パーティの生還者を直接取材して貴重な証言を引き出しており、こうした裏付けを積み上げながら、個々の参加者たちの彷徨と生死の経緯を明らかにしている。中には、他者との証言の食い違いが少なからず目立つ人物もいて、まるで芥川の「藪の中」のようだな、という印象を受ける部分もあった。

 また、専門家による解説の中では、医師の金田正樹氏が執筆した第4章「低体温症」が特に興味深かった。山岳事故の実例を多数引用しつつ、医学的な見地から低体温症の実情に迫っており、登山を行う人にとっては大変参考になる内容ではないかと思う。こうした事故では、どうしても犯人探しや責任追及が面白おかしく語られがちだが、既に起きてしまった事故の原因を解き明かし、再発防止につなげることが、何よりも重要であることを忘れてはなるまい。第4章の最後で、金田氏は以下のように述べている。

「今回の遭難報道と事実の間には相違点が多々あった。遭難事故が起きると、メディアは誰の責任かと犯人探しの報道が優先され、時にはバッシングと思われるような書き方までされる。それでは遭難の真相は解明されない。大自然の山のなかで、小さな人間の行動は計算どおりにできるはずはない。気象条件に左右され、その判断の誤りが気象遭難に繋がるのであって、町での事件とは違う。もう少し山の状況を知った上で、事実をきちんと書くべきだろう。人間にミスはつきものである。そのミスを解明し、それを生かし、今後の行動に繋がるようにしなければならない」


posted by A at 22:41| 本(登山、旅) | 更新情報をチェックする