2009年10月10日

【本】山本譲司「獄窓記」

「獄窓記」 山本譲司/ポプラ社/2003年
(新潮文庫版(2008年)で読みました)

 民主党の代議士であった著者が、秘書給与詐取事件で逮捕されて獄中生活を送り、出所するまでの記録。2004年、第3回新潮ドキュメント賞受賞。

 華やかな政治の世界から、一転して服役囚としての生活を送ることになった著者によるノンフィクションである。看守たちの横暴な振る舞いや人情味ある配慮、厳しい規則の山、囚人たちの人間関係、糞尿にまみれながら身体・精神障害を持つ受刑者たちを介助して過ごす日々など、受刑者としての生活が生々しく克明に描かれている。

 獄中の著者は、割り当てられた仕事に対して真摯に取り組む一方で、時に周囲の人間をやや尊大な目で見下している(もちろん、執筆時点の著者はそのことを自覚しつつ本書を著している)。おそらく、著者のこういった性質が、議員事務所のスタッフに「後ろから刺されて」逮捕されることになった一因なのだろう。しかし、その一方で、著者の家族は一貫して著者を温かく支え続けており、そうした家族間の絆は読む者に小さからぬ感動を与える。このような家族に恵まれたことも、また著者の人格がもたらした結果の一つと言えるのだろう。

 著者の犯した秘書給与流用の罪は、たとえそれが私腹を肥やすためのものでなかったにしろ、国会議員として許されるものではない。しかし、過去に同じ罪を犯した大多数の議員がそのまま見逃されてきたことを考えれば、著者に対する実刑判決は、やや重きに失したのではないだろうか。仮に、裁判官が判決に一罰百戒的な意味合いを込めていたり、あるいは上訴されれば上級審で執行猶予が付されるであろうことを初めから考慮していたのであれば、それは個々の被告に対する量刑算定において本来的に酌むべき事情ではあるまい。著者が罪を犯したことについて擁護するつもりはないが、その刑の重さに対しては、やや釈然としないものが残った。

 なお、本書の続編として、2007年に「続獄窓記」(ポプラ社)が刊行されている。厳しい受刑者生活の反動として、著者が出所後に苦しめられた「囚人コンプレックス」や、本書を出版し思いもかけず新潮ドキュメント賞を受賞したこと、法務省に招かれ幹部たちを相手に受刑者処遇改善に関する講演を行ったこと、新たな生きがいを見つけていくまでの過程など、出所後の著者の歩みが詳しく綴られている。

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2009年08月06日

【本】後藤正治「人物ノンフィクションU 表現者の航跡」

「人物ノンフィクションU 表現者の航跡」 後藤正治/岩波現代文庫/2009年

 作家やアーティストなどの「表現者」たちが現在の地位を獲得するまでの、下積みの時代、背景、活動の舞台裏などを追ったノンフィクション。取り上げられる人物は、オノ・ヨーコ、北方謙三、国谷裕子、皇太子徳仁、内田樹、高樹のぶ子、森毅の7名。それぞれ、過去に「AERA」「文藝春秋」に掲載された記事を、大幅に加筆・修正したもの。

 いずれも個性的で、よく考えると当人自身はあまり取材の対象になってこなかった人々に焦点を当てたノンフィクションである。特に皇太子に関する一編は、7人中唯一本人へのインタビューは行えていないが、実に丹念に周辺への取材を行い、ともすれば厚いベールの陰に隠されがちな皇太子個人の実像を明らかにした秀作と言える。

 どの人物もそれぞれ魅力に富み、読んでいて興味を惹かれるが、ここでは国谷裕子について詳しく取り上げてみる。1993年以降、長きにわたってNHK「クローズアップ現代」のキャスターを務める彼女だが、そこに至る経過は決して平坦なものではなかった。銀行員の子女として生まれた彼女は、父の転勤に伴って日米各地を転々とし、文化的な摩擦も経験しながら、最後は米国東部の名門ブラウン大学を卒業する。卒業論文は「広田弘毅時代の日米関係」。長く海外で育ちながら、常に前に出てものを言う型ではない「日本人タイプ」の人間であり、また、目の前にあるものを器用に処理して前に進むことは苦手な、「深いところでの不器用さ」を自分自身に感じていたという。

 大学卒業後、仕事をしたり、「自分探し」の一人旅をしたり、弁護士の夫と結婚して主婦業に専念したりした時期を経た後、かつて英語放送の仕事に携わったことのあったNHKから声が掛かり、三十歳で黎明期のNHK衛星放送のキャスターを始める。その後、挫折や下積みの経験を経て、93年4月、36歳で「クローズアップ現代」のキャスターに抜擢される。以後、山のような資料の読み込み、スタッフとの議論、多数の著名人へのインタビューなどの膨大な努力を積み重ねて、さまざまなテーマに切り込む「クローズアップ現代」は現在に至るまで続く長寿番組となった。

 そんな国谷について、著者は言う。「小さな変化はありつつも、一日一日、身を削るように生きてきた。プロの仕事人は疲れを自覚しつつ、また一歩、高みへ登り詰めていかんとする存在であるとするなら、彼女もまたそのような人である」。ノンフィクションの名手である著者は、今作でも、それぞれの取材対象を鋭く、そして温かい目で見つめている。

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2009年08月02日

【本】佐橋滋「異色官僚」

「異色官僚」 佐橋滋/ダイヤモンド社/1967年
(現代教養文庫版(1994年)で読みました)

 元通産省事務次官の回顧録。著者は、小説「官僚たちの夏」(城山三郎)の主人公、風越信吾のモデルとなった人物。

 戦後の混乱期を抜け、日本経済が力強く成長していく過程において、さまざまな課題に豪腕を振るった通産官僚の自伝である。紙や綿の統制撤廃、石炭局や重工業局、企業局で生じる問題などを、自ら率先して次々に片付けていく様子からは、著者は非常に仕事のできる人だという印象を受ける。荒削りで野太い文章も、著者の開放的な人柄を表しているようで、読んでいて爽快な本だ。

 しかし、経済成長が軌道に乗って産業規制の意義が次第に薄れ、また著者自身の役職が上がるにつれて、いくつかの影が著者を覆うようになる。「官僚たちの夏」では、著者たちが取り組んだ特定産業振興臨時措置法(小説中では指定産業振興法)をめぐる経過が劇的に記されているが、その後の日本経済の発展を見れば、これがぜひ必要な法律であったかと問われると、疑問符を付ける向きもあるようである。通産省が各種の規制権限を失っていく中で、この法律により自らの存在感を高めようとした側面もあったのではないか。

 また、人事に関しても、著者は文中で「僕は人間というものに非常に興味を持っている」と語り、学生の採用の要諦などを述べている。しかし、アクの強い著者による専断的な人事の結果、大きな派閥対立が生じ、平成の「4人組事件」までその影響を引きずってしまったことは、通産省にとっても大きな損失だったと言えるだろう。戦後経済の混乱という一種の「乱世」において大いに必要とされた著者の腕力や個性も、社会が平時に移り変わるにつれて、次第に負の面が目立つようになったのではないだろうか。

 ところで著者は、本書の冒頭4分の1(文庫本で約70ページ弱)を、幼少期から軍隊の務めを終えるまでの期間の記述に充てている。腕白な子供時代、東海中学・八高での個性的な学生時代、「優取り戦術」に知能を発揮した帝大時代、「前畑ガンバレ」で有名な前畑(兵藤)秀子の夫君・兵藤正彦軍医と組んで中支戦線で活躍した軍隊時代など、人間としての佐橋滋を最も濃厚に描写しているのは、むしろこの時代の内容かもしれない。努力家で率直で、そして理不尽な事柄に対する反抗心を忘れない著者の魅力を、余すところなく伝えている。

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2009年06月14日

【本】ジョン・ロルフ、ピーター・トゥルーブ「サルになれなかった僕たち 〜なぜ外資系金融機関は高給取りなのか〜」

「サルになれなかった僕たち 〜なぜ外資系金融機関は高給取りなのか〜」 ジョン・ロルフ、ピーター・トゥルーブ/主婦の友社/2007年
(2001年に主婦の友社から刊行された単行本「ウォールストリート 投資銀行残酷日記」を改題・文庫化したもの)

 ハーバード大、ペンシルベニア大のビジネススクールでMBAを取得し、一流投資銀行に就職した著者二人が、その内幕に幻滅し、退職するまでを描いた本。

 投資銀行のアソシエイトとして数年を過ごした著者たちが、その悲惨な勤務実態を赤裸々に綴った本である。曰く、ろくに活用されないのに作らなければならない膨大なプレゼン資料。その資料に対する、上司による無意味で理不尽な字句修正の山。資料作りの過酷なタイムリミットに応えるため、午前二時や五時、ひどいときは七時まで働かされ、それが週7日続く労働環境。中身の無い資料を見栄え良くするために、デザインや印刷に注ぐ無駄な労力。コピーや製本を担当するスタッフに気を遣い、時には付け届けまでしなければ資料が完成しない非能率な事務システム。そうして出来上がった資料は、収益の見通しが立たない企業への出資を勧める詐欺まがいのもの。投資資金を集めるためにこなす、物理的にも精神的にも過酷な出張の数々。そして、こうした環境で長年過ごしたため、人格まで破綻してしまった上司たち――。

 このような厳しい労働への対価として、著者たちは20万ドルを軽く超える高年俸を手にしている。しかし、仕事をする上でのこうした理不尽な側面は、どのような企業に就職しても、程度の差こそあれ直面しなければならない現実なのではないか。投資銀行で働いた経験はないが、この本を読みながら、どうも既視感に捉われてならなかった。

 また、著者らの描写が真実であれば、彼らが在籍した投資銀行の業務には非常に無駄が多く、効率化の余地がいくらでもある。その気になれば容易に改善できそうなものを、この銀行はなぜしないのか。あるいは、先に法外な報酬相場が出来上がってしまって、そのような報酬を貰うのは当然だという神話性を維持するために、後付けで報酬に見合う過酷な業務内容が生み出されているのではないか、とさえ思われた。

 著者たちよりももっと上の役職ならば実感できるであろう投資業務の本来の醍醐味や、「なぜ外資系金融機関は高給取りなのか」という本質的な理由は、結局この本では触れられていない。しかし、苛烈な労働環境で入社1年目から高給を取る若者たちの本音を覗くことができる、面白い本である。

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2009年06月05日

【本】清水真人「首相の蹉跌」

「首相の蹉跌」 清水真人/日本経済新聞出版社/2009年

 小泉政権を引き継いだ安倍政権、福田政権の軌跡と、後二者が小泉元首相による「官邸主導」政治の後継者たり得なかった背景を描き出した一書。著者は日経新聞編集委員。

 本書によれば、安倍政権、福田政権の失敗の第一歩は、政権発足当時に詳細なマニフェストを掲げなかったことにあるという。先代の小泉政権は、郵政民営化に代表されるように、しばしば深刻な党内対立を抱えていたため、分かりやすいマニフェストを用意して国民の支持を集める必要があった。そして、総裁選や総選挙に勝利した後は、選挙により自らの方針に国民の信を得たとして、マニフェストに沿って強力に政策を推進していくことができた。

 これに対し、安倍・福田両政権は、その発足の際に極めて抽象的で曖昧なマニフェストしか作らなかった。総裁選時に党内の大勢の支持を得ており、党内融和の観点から、あえて対立点を生み出すようなマニフェストを作る必要がなかったのだ。このため、政権発足後に具体的な方向性を打ち出す時点で、その内容がラディカルであればあるほど党内の強い反発を招くこととなり、政策を前に進めることができなくなってしまったのである。

 そして著者は、首相権力に対する小泉元首相の冷徹なまでの考え方と、後継政権の人材配置の失敗や政局の見通しの誤りを対比して描き、「官邸主導」に対するそれぞれの認識の違いを浮かび上がらせている。延べ3回の大臣職を経験し、官僚との間で決定的な対立まで経験した小泉元首相と、大臣として省庁を運営する経験を持たぬまま総理になった安倍元首相・福田前首相との間には、権力の運用に関する成熟度に大きな差異があったということなのだろうか。

 著者は、官邸をめぐる政治プロセスに関する作品として、既に「官邸主導」(2005年、日本経済新聞社)、「経済財政戦記」(2007年、日本経済新聞出版社)の二冊を上梓している。いずれも、一般には窺い知れない政策決定の過程を詳しく描写していて、興味深い。

posted by A at 23:27| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする