2018年06月17日

【本】山際淳司「みんな山が大好きだった」

「みんな山が大好きだった」 山際淳司/中公文庫/1995年
(初版「山男たちの死に方」は、1984年にKKベストセラーズから刊行)

 国内外の高峰や氷壁の登頂を目指した、先鋭的なアルピニストたちの生きざまを描いたノンフィクション。

 加藤保男森田勝長谷川恒男などといった国内の著名な登山家や、ヘルマン・ブール、ゲオルグ・ウィンクラーのような海外のアルピニストたちに焦点をあてた、優れたノンフィクション作品である。彼らがどういう子供時代を過ごし、何をきっかけに登山の世界に入り、そしてどのように山で散ったかを、やや感傷的な文体で書き綴っている。「命を懸けて未踏の山を目指す」というような危険な冒険スタイルは、現代ではすっかり流行らなくなってしまった感もあるけれど、往時の登山家たちが発した旺盛な熱量を、本書は克明に書きとどめている。

 このような、名の知れたアルピニストたちの英雄譚も印象的だが、個人的には、本書の最終章で触れられている、必ずしも広くは知られていない登山者たちの記録も心に響いた。例えば、著者の高校時代の同級生で、登山に魅せられていたNという人物は、大学生時代、著者と以下のような会話を交わしている。

「そのころ、山がそんなに面白いのかと、ぼくが聞いたことがある。そのときの会話を、いまでもよくおぼえている。
『面白いさ』と、彼はいった。
『毎日一冊の本を読んで一年を過ごしてみる。ずいぶん、本を読んだことになる。刺激も受けるだろうし、考えもする。それでもわからないことがある。そのわからないことが、山に登っているとき、ふっとわかったりするんだ。不意にひらめていくるんだ。考えても悩んでもわからなかったことを、直観的に見通すことができるんだよ』
 つまり――と、彼はつづけていった。
『本を読むことにしたって精神の遊びなんだけど、山に登るってこともそれに近い。そしてそれ以上なんだ。言葉が外から与えられるんじゃない。自分の内側から出てくる。これ以上の遊びはないと思う。退屈しないね。無力感とか脱力感なんて、どこの世界の話かと思うよ』」

 この会話から1か月もたたないうちに、Nは、登山訓練中の不慮の事故で還らぬ人となった。生と死の境界線を踏みながら生きるような人は、そうした生き方を送るからこそ、ある種の鋭敏な感性のようなものが発達するのだろうか、などといったことを考えた。

posted by A at 00:16| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

【本】ウォーレン・クロマティほか「さらばサムライ野球」

「さらばサムライ野球」 ウォーレン・クロマティ、ロバート・ホワイティング/講談社文庫/1992年
(初版は、1991年に講談社インターナショナルから刊行)

 1984年から1990年まで読売巨人軍に在籍し、優れた打撃成績を残した、ウォーレン・クロマティ外野手の自伝的な本。

 巨人軍の裏側をあけすけに描き、刊行当時に「暴露本」扱いもされた、クロマティの日本野球体験記である。球団首脳の外国人選手への無理解や、コーチたちの無能ぶり、同僚の人物評などを遠慮なく書き並べているほか、外国人から見た日本文化の特異性を包み隠さず指摘していて、結構刺激の強い内容になっている。グラウンドで見せていた、陽気な助っ人外国人クロマティの姿をイメージして読み始めると、少なからず衝撃(場合によっては、失望)を覚えるのではないかと思う。

 1953年にマイアミで生まれたクロマティは、2歳の時に両親が離婚し、スラムで貧しい少年時代を送る。彼の父親違いの弟は、やがて麻薬密売や強盗に手を染めて刑務所に送られるが、野球の才能に恵まれていたクロマティは、不十分ながらも父親からの指導や援助を受け、短大を経てメジャーリーグへ進む。そして、1981年にモントリオール・エクスポズで地区優勝も経験し、84年、高給に惹かれて来日する。

 しかし、巨人に入団してからのクロマティは、チームの風通しの悪さや、ガイジンを疎外する日本社会の壁に苦しみ続ける。『ニューズウィーク』国際版のインタビューで、クロマティは以下のように述べている。

「『年俸はかなりいい。だからみんな日本へ来るのだ。友だちをつくろうと思って日本へ来ているやつはいない。日本人の選手は、ガイジンが自分たちよりたくさん金をもらっていることに嫉妬している。だからガイジンはあらゆる期待にこたえなければならない。ホームランを打ちまくり、どんな飛球でも捕らないと、たちまち批判される。たまには親しみをこめて背中をポンと叩いてくれるが、そんなことは滅多にないと思ったほうがいい。プライドをぐっと飲み込んで、目の前で起こる異常な事態にじっと耐えなければならない』
――日本に偏見はあると思いますか?
『もちろんある。たとえばガイジンに対して偏見をもっている。日本人は、外国人に先を越されることを嫌う。どうせなら同国人にいい思いをさせてやりたいと思っている。たとえ満塁でも、面子のためなら平気で俺を歩かせる』
――黒人に対する偏見に直面したことは?
『もちろんあるさ。その種の偏見は世界中にある。日本だって同じだ。外野で守っていると、スタンドから侮辱的な言葉を浴びせられることがある。アメリカでプレーしているときと同じだ』」

 こうして苦労を重ねてきたクロマティも、4年、5年と日本生活を続けると、以下のような心境に至っている。

「人生なんて、バラ色のあれこれがそっくり用意されているわけではない。すばらしい人生を手に入れようと思ったら、自分も少しは努力すべきなのだ。人に説教できるような柄ではないことはわかっている。俺だってさんざん日本の悪口を言ってきた。だけど今は少しずつ物事がわかりかけている。(中略)
 最初は日本的なものすべてに反抗したものだ。言葉だってまじめに勉強する気にならなかった。だけど今は、少しでもしゃべれるようになって本当によかったと思っている。もっと早くから勉強していればよかったと後悔しているくらいだ。――俺がこんなことを言うようになるなんて、夢にも思わなかったが。
 日本が大好きだ。いろいろ問題はあるが、神の名のもとに一億九千万ドルの寄付を求めるようなジェリー・フェアウェルは、ここにはいない。この国にはこの国なりの献身のしかたがあるのだ。それがだんだんわかってきた。日本人には日本人の考え方があり、その大半はアメリカ人の考え方に少しも劣らない」

 本書を読んだ感想として、クロマティはかなり自我が強く、クセのある人物だが、同時に頭脳明晰で、我慢強く、また柔軟性のある人柄だという印象を受けた。ホーナーやガリクソンのようなメジャーリーガーたちが、日本に嫌気が差して短期間で帰国した一方で、クロマティが7年の長きにわたって異国の地でプレーし、しかも素晴らしい成績を残し続けたのは、こうしたクロマティ自身の人となりによる部分が大きかったのではないか、と思えた。


posted by A at 20:13| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

【本】高橋英利「オウムからの帰還」

「オウムからの帰還」 高橋英利/草思社文庫/2012年
(初版は、1996年に草思社から刊行)

 学生時代にオウム真理教に入信し、のちに出家した信者が、やがて教団に疑問を持つようになり、なかば強引に脱会するまでの過程を描いた本。

 著者は、1995年3月に地下鉄サリン事件が発生した後、テレビ朝日「ニュースステーション」などに実名と顔をさらして出演し、オウム真理教の実態を赤裸々に証言した人物である。そうした大胆な証言者である著者が、自らのオウム信者としての遍歴を、生々しく詳述したのが本書である。

 大学生時代に、青年期特有の形而上学的な悩みや、研究の行き詰まりなどから鬱状態に陥っていた著者は、ある日、自らの通う大学で開かれた麻原彰晃の講演会を聞きに行く。そして、講演会後に熱心に勧誘してきた井上嘉浩に説得され、衝動的にオウム真理教に入信する。その後、一時オウムを離れたものの、大学院生時代にふたたび精神状態が悪化してオウムに復帰。最後には、とうとう出家信者としての道を選んでしまう。著者の人生選択は、結局のところ最悪のものだったと言うほかないのだけれど、生真面目で突き詰めて考える性格の著者だからこそ、かえってこうしたカルトに絡め取られてしまったのかな、と思えた。

 そして、著者は山梨県上九一色村の教団施設(サティアン)で修行生活を送ることになるが、やがて教団の組織管理のルーズさや秘密主義に疑問を抱くようになり、そのことを幹部からも警戒されるようになる。カルト宗教の信者というものは、自ら考えることを放棄して、すっかり従順になってしまったような人々だというイメージを持っていたけれど、著者は、他の出家信者たちよりも芯の強い人だったようである。このような著者に対して、オウムの幹部たちがどのような指導を行ったのか、一例を本書から引用する。

「・・・誰かがヴァジラベルというベルを『チリーン』と鳴らしながら僕のまわりを歩きまわる。そして恐ろしげな声でささやくのだ。
『お前は修行がなっていない!』
 飯田さん(注:飯田エリ子)だった。それに続いてほかの人(注:新實智光など)も恐ろしげな声を出して、僕の修行態度の至らない点をあれこれとつつきはじめるのである。(中略)
 だけど僕はいま、教団のやり方に大きな疑問を持っているのだ。こんな子供だましのようなものに付き合っていられなかった。僕のほうから議論をふっかけていった。
 サティアンがあまりにも汚いこと、管理運営のやり方があまりにも粗雑すぎること、それらは要は出家サマナたちの心がまだ汚れたままであることの証拠ではないのか。
 彼らは必死になって、それはお前の修行が・・・とか、お前はプライドが高すぎて・・・などとオウムの常套文句で僕の攻撃をかわそうとするが、僕はひるまなかった。僕の指摘は的を射ていたらしく、飯田さんなどはしまいに普通の声になっていた。
『でもね高橋君、そうは言ってもね、グルに従うしかないのよ。私たちは』
 僕は彼女を問い詰めた。
『グルに従うというけど、じゃあグルが何をしようとしているのか、わかっているんですか』
 それに対して彼女はこう答えたのだ。
『私たちにもうかがい知れない人なのよ・・・』
 気弱な泣き言のような言い方だった」

 こうした会話を見て、著者はずいぶん骨のある方だなという印象を受けた。信者のリンチ・殺害事件が続いていたこの時期に、このような率直な振る舞いをすれば、一歩間違えば著者自身の命を危うくしていたことだろう。本書を読む限りでは、著者による井上嘉浩の人物評価は一面的で甘すぎるとしか思えず、また、著者自身のオウム信者時代に対する総括も、あまり核心に至っていないように感じられた。ただ、上記のようなやり取りからうかがわれる著者の気骨や行動力が、やがて力ずくの脱会やテレビ出演、本書の執筆などにつながり、教団の実像の一端を明らかにしたことは確かだろうし、そうした点は率直に評価すべきものではないかと思った。


posted by A at 20:12| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

【本】山本茂実「塩の道・米の道」

「塩の道・米の道」 山本茂実/角川文庫/1978年

 著者が昭和30年代後半に国内各地を取材し、雑誌「旅」「地上」「文藝春秋」などに発表したルポルタージュ19本を、一冊の本にまとめたもの。

 著者自ら全国津々浦々を歩き、自分の目で実地に見たこと・感じたことを書き著したレポート集である。「流氷と流刑の道・網走街道」や「匠たちの故郷・飛騨路」のように、各編のタイトルにはそれぞれ「道」の名前が付されているが、道に関する話に限らず、各地の様子を面的に捉えた作品も少なくない。それぞれの地域にまつわる悲哀の歴史や、当時の社会的な問題にも正面から取り組んでおり、硬派なノンフィクション作品集といった趣の一冊である。

 本書の各編を読むと、ソ連の不当な拿捕・抑留と闘いながら漁をつづけるノサップの漁民たちの苦労や、日本初の高速道路である名神高速道路の用地買収に関する紛争劇、あるいは、平家の落人の末裔がひっそりと暮らしてきた九州の山村が、自動車道やダムの建設で大きく変貌していく様子など、昭和30年代の社会の情景が丁寧に描出されている。このような血の通ったルポルタージュは、実際に各地を歩いて回り、人々の証言を丹念に集めた著者だからこそ書けたものだろう。事実関係の正確性をやや欠いた部分もないわけではないが、総じて見れば、著者の精力的な仕事ぶりが光る作品群だった。

 なお、本書に所収された作品の一つ「女工哀史の道・野麦峠」は、著者の代表作である「あゝ野麦峠」の原型となったものである。その内容は、年老いた女工たちから聞き取った悲話や、著者自身が実際に野麦峠を歩いてみた記録を、20ページ弱でごく簡単にまとめた構成となっている。こんなスケッチ風の小作品が、やがては著名なノンフィクションの大作につながっていった事実を見ると、作家の琴線に触れるテーマというものは、どこから掘り起こされるか分からないものなのだな、と思えて興味深かった。


posted by A at 23:43| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

【本】海老沢泰久「ヴェテラン」

「ヴェテラン」 海老沢泰久/文藝春秋/1992年
(文庫版は、1996年に文春文庫から刊行)

 1980〜90年代にかけて活躍したプロ野球選手6人の、個性的な野球人生を描いたノンフィクション。

 西本聖、平野謙、石嶺和彦、牛島和彦、古屋英夫、高橋慶彦の、6名の野球選手の生きざまを追った作品である。これらの選手たちは、いずれも個性の強いプレイヤーだったためか、ほとんどがトレードにより最初の球団から放出されている(石嶺だけはFA移籍)。彼らの中には、我を通した結果としての移籍が裏目に出て、選手としての終わり方があまり良くなかった者もいるが、トレードを機に息を吹き返し、移籍先の球団でさらなる活躍を見せた選手もいる。各人の性格や野球哲学の違いが、彼らの選手生活に大きな影響を及ぼしていく過程を、本書は克明に描いている。

 本書の各編の中で、最も読後感が良いのは、平野謙を取り上げた一編だろう。1977年、ドラフト外で中日に入団した平野は、失敗や試行錯誤も繰り返しながら、ようやく1982年にレギュラーの座を掴む。その後、しばらくは安定した活躍を見せるが、次第に練習を手抜きするなど、ベテラン選手としての悪癖も目立つようになってくる。1987年に就任した青年監督の星野仙一は、平野のこうした闘争精神に欠ける姿勢を嫌い、ついに同年オフ、平野は西武ライオンズにトレードされてしまうのだった。

 しかし、平野にとって幸運だったのは、移籍先の西武監督の森祇晶が、トレード選手に対して理解のある監督であったことだった。本書には、以下のような森の言葉が収められている。

「ジャイアンツには、昔からジャイアンツにいるというだけで、尊大でいじわるになる選手がいるんですよ。そういう連中が移籍してきた選手をいじめるんです。ジャイアンツの伝統はこうだとか、こんなことも知らないのかとか。それでなくても移籍選手というのは知らないチームにきて不安で仕方がないんですから、そんなこといわれたら萎縮して何もできなくなってしまいますよ。森永(勝也)なんか、それでどれだけいじめられたか。見ていて腹が立つぐらいでしたよ。だからぼくは、移籍してきた選手には、使い方は様子を見てから決めるなんて不安にさせるようなことはいわないで、ぼくがその選手に何を望んでいるかを最初にはっきりいうことにしているんです」

 こうした監督と、伸び盛りのチームメイトたちにも受け入れられた平野は、西武の厳しい練習にも真面目に取り組み、1988年には不動の二番打者として、自己最高打率の.303を残す。そして、1992年まで5年連続でパリーグ最多犠打、1993年まで6年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、西武黄金期を支える名外野手となったのだった。

 平野の野球人生を見ると、遊んで過ごしていた新人時代や、練習に手を抜いていた中日時代末期など、必ずしも模範的なアスリートとは呼べない時期もあったようである。しかし、彼の真骨頂は、自らの置かれた環境が変わったとき、それに合わせて猛烈に努力できる根性と柔軟さがあったことだろう。そうした彼自身の気質と、彼に手を貸そうとする周囲の人々にも恵まれたことが、平野謙というプロ野球選手の成功につながったのではないかと思った。


posted by A at 19:20| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする