2017年04月23日

【本】戸部田誠「1989年のテレビっ子」

「1989年のテレビっ子」 戸部田誠/双葉社/2016年

 1970年代の終わり頃から90年代の中頃までを中心に、テレビのバラエティ番組の栄枯盛衰を描いた本。

 たけし・さんま・タモリの「ビッグ3」や、80年代始めのマンザイブームを担った漫才師たち、80年代後半以降に飛躍したとんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンなどのタレントたちの足跡を辿りつつ、数々のテレビ番組の栄光と没落の軌跡を追いかけた一書である。我々視聴者にはうかがい知れないテレビ番組の裏面や、関係者の苦悩と成功が、著者の該博な知識を踏まえて見事に描き出されている。文中に引用されている文献の量も膨大で、テレビに対する著者の愛着の深さを推し量ることができる。

 本書の中で目を引く場面としては、やはり土曜8時の枠を巡る熾烈な競争、いわゆる「土8戦争」が挙げられるだろう。王者として君臨する「8時だョ!全員集合」に挑む「欽ちゃんのドンとやってみよう」、「全員集合」にとうとう引導を渡した「オレたちひょうきん族」、そして「ひょうきん族」を終焉に追い込んだ「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と、視聴率30%台が当たり前のお化け番組がしのぎを削る様子が、関係者の回想も含めてクリアに描かれている。精緻に作り込まれた笑いである「全員集合」へのアンチテーゼとして、「完成されたものの破壊」を打ち出して成功した「ひょうきん族」が、「全員集合」の終了により急速にパワーを失い、ついには自分自身の役割をも終えてしまったという分析は、往時の番組を思い出してみても、確かにそうかもと思わせられるものがあった。

 この他にも本書には、現在では大御所と呼ばれるようになった芸人たちの、若かりし頃の試行錯誤や努力の記録が詳しく綴られていて興味深い。彼らの行跡を軸にして、様々な番組を線でつないだ著者の視点は、テレビに対する深い愛情を持った人でなければ持ち得ないものだろう。すっかりテレビが元気を失ってしまった今、著者があえて80年代前後にクローズアップした本書を著したのは、テレビがもっとも輝いていた最後の時代に対する、ある種の郷愁も作用したのかもしれないな、と思った。


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2017年01月15日

【本】村瀬秀信「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」

「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」 村瀬秀信/双葉文庫/2016年
(初版は、2013年に双葉社から刊行)

 大洋ホエールズ・横浜ベイスターズの球団史を、多くの関係者の証言を元に描き出したノンフィクション。

 著者の熱い大洋・横浜愛をひしひしと感じる、出色のノンフィクションである。古今の関係者たちへの濃密なインタビューを積み重ね、それに著者自身の記憶や思い入れも付け足して、球団への愛情にあふれたクロニクルが綴り上げられている。横浜ファンでなくとも、プロ野球ファンであれば十二分に楽しめる作品である。

 本書によれば、大洋ホエールズという球団のおおらかで大ざっぱな気風は、親会社が大洋漁業(マルハ)だったことに由来する面があったようである。「遠洋漁業は命懸けで漁に出るわけです。だから、一艘の船に乗った人間は、みんな命を預かった家族。だからみんな仲良く、一致団結しようということですよ」(土井淳)、「まあ、当時は選手獲得も、『クジラ一頭獲れればいい』って感覚ですからね」(平松政次)、「昨日まで船に乗って魚獲っていた人が、次の日に選手を獲ってんだからね(笑)」(近藤昭仁)、「大洋漁業って船乗りの集まりじゃないですか。チームがひとつの船というんですかね。大洋ホエールズという船に、監督という船長がいて、船員である選手みんなが乗っている。そんな雰囲気が色濃かった気がしますね」(遠藤一彦)などという証言は、良くいえば鷹揚、悪くいえばルーズで甘い大洋球団の体質と、確かに重なり合うものであるように思えた。

 その後、大洋ホエールズは、横浜ベイスターズへの球団名変更、1998年の日本一、TBSによる買収などを経て、2000年代の壮絶な暗黒時代を迎える。この時期の球団について、著者は、球団を食い物にしていた人間や、澱んだ空気の発生源になっていたスタッフの存在を仄めかす書き方をしているが、その詳細については突っ込んだ記述をしていない。球団がどうして支離滅裂な状態に至ったのか、その要因を知りたいと思う読者にとっては、このあたりの展開はやや消化不良の感が否めないかもしれない。ただ、こうした原因追及や犯人の糾弾を詳しく進めていくと、おそらく本書はかなり雰囲気の違う、重苦しい一書になっていたのではないかと思う。この辺の闇にあえて深入りせず、軽妙な筆致を貫いた著者の判断は、作品の完成度を高める意味では、おそらく正解だったのだろう。

 現在、球団のオーナーはDeNAとなり、球団の体質や運営方針は、見違えるほど改善されてきているように見える。著者に代表されるような、どんなに弱くても決して大洋・横浜を見捨てなかったファンたちも、きっと大きく勇気づけられているのではないか。彼らの熱い球団愛が、いつか報われることを祈らずにはいられない、そんな思いにさせられた一冊だった。

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2016年07月18日

【本】後藤正治「人物ノンフィクションT 一九六〇年代の肖像」

「人物ノンフィクションT 一九六〇年代の肖像」 後藤正治/岩波現代文庫/2009年

 1960年代に活躍した歌手やスポーツ選手などの軌跡を追ったノンフィクション。取り上げられた人物は、藤圭子、ファイティング原田、ビートルズ&ボビー・チャールトン、シンザンをめぐる人々、吉本隆明。2000年前後に「Number PLUS」などの雑誌に発表された記事を、加筆・修正したもの。

 60年代を象徴する人々に焦点を当てたノンフィクション作品群である。高度経済成長期の当時から既に半世紀が経過し、往時の出来事も歴史の一ページに変わりつつあるが、この時代をリアルタイムで体験した著者は、登場人物たちの足跡を紹介するとともに、当時の社会風潮や人々の価値観をも丹念に描き出している。

 著者の作品では、「遠いリング」(講談社ノンフィクション賞)、「リターンマッチ」(大宅壮一ノンフィクション賞)、「咬ませ犬」など、ボクシングを扱った名作ノンフィクションの数々が知られているが、本書でも、ファイティング原田を取り上げた「黄金時代」は、特に秀逸な一編であるように思えた。原田という人物の前向きな人生観や、しなやかで強靱な生き様を丁寧に描写し、彼の魅力を存分に伝えている。読後感の良い作品だった。

 また、1964年に三冠馬となったシンザンをテーマとした作品も興味深い。厩舎関係者たちの迷いや葛藤と、それらとは対照的なシンザン自身の悠揚迫らぬ活躍ぶりが、克明に映し出されている。私自身は現役当時のシンザンを知らないが、孫に当たるマイシンザンのレースを、10代半ば頃に何度かテレビの競馬中継で見たことがある。彼が関西のGVで久々に重賞勝利を挙げたとき、そういえば彼の祖父はまだ長寿を保っているんだな、という事実を思い出して、偉大な競走馬の生命力の強さに、改めて驚きを覚えたことを記憶している。

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2016年05月21日

【本】遠藤ケイ「熊を殺すと雨が降る」

「熊を殺すと雨が降る 失われゆく山の民俗」 遠藤ケイ/ちくま文庫/2006年
(単行本は1992年に岩波書店から刊行、2002年に山と渓谷社から再刊)

 山に暮らす人々の生活様式を、「山の仕事」「山の猟法」「山の漁法」「山の食事」「山の禁忌」の5つのテーマに分けて詳述した本。

 山に生きる人々の暮らしを描いた、「山の民俗学」の集大成とも言うべき一冊である。著者自身が日本全国の山々を回り、実際に目の当たりにした山間の人々の生活ぶりや、独特な猟法・漁法、昔からの言い伝えなどを、克明なタッチの絵とともに詳細に書き残している。既に消滅してしまった山仕事や猟法なども多いと思われる現在、これらの記録は類稀なものであろう。

 この本のタイトルにもなっている、熊猟に関する記述にも大いに興味を惹かれたが、ここでは、山での労働に携わる人々の食事について触れてみたい。本書の第4章「山の食事」によれば、山で働く男たちは、メンパ(檜や杉の柾目板を楕円形に曲げて作った容器)の蓋と本体に、1升もの飯をぎゅうぎゅうに詰め、弁当として山に持って行くのだという。そして午前10時になると、まずメンパの蓋側の飯を、飯の中に詰めてきた梅干しや漬け物をおかずにして食べる。その次の食事は午後2時で、以下のようにして食べるのだそうだ。

「二度目の食事のときには、メンパの蓋があいているので、それで汁を作る。具は山で採取した岩菜(イワタバコ)やフキノトウ、セリ、ミツバ、タラの芽、アサツキなどの季節の山菜。ときに沢で捕った岩魚や山女を入れることもある。魚は、近くに沢があれば、作業の合間の半時ほどの休み時間に降りていって、手摑みで捕ってくる。
 魚は腹を裂いて内臓を抜き、串に刺して焼く。塩は使わず、素焼きにする。強火の遠火で、じっくり焼いて水分を抜く。生焼けで汁に入れると生臭みが残る。(中略)
 メンパの蓋にありあわせの山菜をちぎって入れ、素焼きにした魚を入れる。持参した味噌と乾燥ワカメを加え、沢で汲んだ水を注ぎ入れる。そうしておいて、焚き火の中で焼いた石をつまみ出して器の中に落とす。(中略)
 器の中の水は瞬時にして沸騰し、間欠泉のような熱湯を噴き上げる。火力が弱ければ石を二個、三個と入れる。強い火力で、一瞬のうちに煮えたぎらせた味噌汁は格別にうまい。味噌は煮つまらず、山菜も青さを失わずにシャキッとしている。岩魚や山女のダシが出て、一層味に深みを加える。
 煮えたぎった汁が喉を焼き、五臓六腑に染み渡る。冷えた飯をかき込み、汁をすすり、岩魚に頭からかぶりつく。体の内側からポカポカとぬくまってきて、額に汗が浮く。冷える山では、焚き火の火と白い飯、そして熱い汁が何よりのご馳走である」

 本書では、この他にも様々な山の食事が紹介されているが、どれも実に美味しそうである。このような独特な料理法も、林道が四通八達して山への物資の搬入が容易になったり、そもそも山仕事に従事する者が減ってきてしまった現代では、次第に廃れていくのは避けられないことなのだろう。これもやむを得ない変化なのだろうが、長年受け継がれてきた先人の知恵が失われるのは、やはり惜しい気がする。

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2016年03月13日

【本】後藤正治「牙 江夏豊とその時代」

「牙 江夏豊とその時代」 後藤正治/講談社文庫/2005年
(単行本は、2002年に講談社から刊行)

 20世紀最高の投手の一人にも数えられる左腕投手・江夏豊の、主に阪神時代の活躍や苦悩を描いたノンフィクション。

 通算206勝158敗193セーブ(セーブ制度導入以前の記録を含めれば、実質230セーブ)の記録を打ち立てた大投手、江夏豊の野球人生を描写した作品である。江夏本人のほか、阪神時代の同僚選手である辻恭彦、田淵幸一、藤田平、遠井吾郎、藤井栄治、川藤幸三、池田純一や、ライバル球団・巨人の王貞治、堀内恒夫、森昌彦(のち祇晶)、土井正三、黒江透修、柴田勲、さらにトラ番のベテラン記者たちや、甲子園のグラウンドキーパーに至るまで、阪神時代の江夏と交錯したさまざまな人々に取材し、江夏豊という人物の実像を丁寧に浮かび上がらせている。

 そうした江夏周辺の群像のうち、本書の最後の場面で取り上げられているのは、大洋ホエールズの林健造という選手である。プロ野球選手としてごく平凡な成績しか残さず、ほぼ無名の存在の林がなぜこの本に登場するのか、詳細は本書を参照されたいが、江夏という一流投手と渡り合った過去を、彼は以下のように述懐している。

「……いまもときどき思うんです。長嶋がいて王がいて江夏がいた。あの時代、プロの最高のピッチャーから、俺みたいなへぼバッターが打ったことがあるんだということね、嘘みたいに思えるんですよ。……ピカッと一瞬触れ合っただけだけど、それでもそれは箪笥の奥に大事にしまい込んである宝物のようなもんです。人にいったことはないですけどね……」

 彼のいう「箪笥の奥に大事にしまい込んである宝物」とは、きっと誰もが、大なり小なり大切に持っているものなのだろう。そしてそういったものが、代わり映えのしない日々を生きていくための、一つのよすがになるのではないか、などといったことを考えた。

 なお、本書の中では、学生運動にも没入できないまま冷めた学生時代を過ごし、サラリーマン時代を経てライターへの道を歩んでゆく20代の著者の姿が、江夏の野球人生と重層的に描かれている。人気球団の重圧の中で苦闘する江夏と、同世代の無名の若者である著者の彷徨を重ね合わせることで、本書はさらなる深みを湛えた作品に仕上がっている。作中の展開を踏まえれば、この本が江夏の南海移籍で締めくくられることは必然なのかもしれないが、優れたノンフィクション作家である著者の描く、江夏の南海での再生、そして広島での栄光の軌跡も、やはり見てみたかった気はする。

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