2019年09月23日

【本】丸山静雄「インパール作戦従軍記」

「インパール作戦従軍記」 丸山静雄/岩波新書/1984年

 新聞記者としてインパール作戦を実地に見聞した著者が、その体験をありのままに記録したノンフィクション。

 旺盛な取材精神でインパール作戦の最前線近くまで進出し、その後、敗走する部隊とともに命からがら撤退した新聞記者の貴重な従軍記である。報道内容を統制するため、できる限り取材陣を制限しようとしていた第15軍は、インパール作戦の取材を、毎日新聞(第33師団)、読売新聞(第15師団)、同盟通信(第31師団)の3社に独占させていた。これに対して、朝日新聞に所属する著者は、強硬に反対する軍や同業他社を執拗に説得し、半ば強引に割り込む形で、第33師団と第15師団の間隙で作戦中の山本支隊(歩兵3個大隊、戦車1個連隊、砲兵2個連隊他により編成)に同行することとなった。

 そして著者は、「戦争を見とどける」という意思の下、昭和19年7月下旬に山本支隊が退却に移るまで、戦いの実態を最前線近くで見守り続けた。作戦が敗色濃厚となる中で、第15軍司令部から繰り返し前進の督促を受けた山本支隊長は、部下の部隊長に対して無謀な攻撃命令を強要するようになる。その模様を、著者は以下のように描いている。

「そのころ、一つの瘤をとるのに一回の突撃で成功したことはなく、二回、三回と反復して辛うじて瘤の一角にとりつく有様だった。支隊長の命令は峻烈で、一度、攻撃を命ずると、目標陣地を脱出するまでは同じ部隊に突撃を命じた。攻撃に失敗すると、指揮官は支隊本部に呼びつけられ、『反省のテント』のなかで謹慎を命じられた。(中略)薄暗いテントのなかで、指揮官は幾日も一人黙然と静座し、やがて『最後の突撃』をいい含められ、悄然と前線にもどってゆくのであった」

 こうして山本支隊の麾下部隊は絶望的な突撃を繰り返し、その戦力のほとんどを失っていった。辛うじて生き残った将兵は、作戦中止後、豪雨の中を病み衰えた体で退却し、行き斃れた者たちによる「白骨街道」が現出した。幸運にも生還を遂げた著者は、本書の第3章「敗走千里」で、そうした悲惨な撤退の実情を詳しく描いている。インパール作戦のような悲劇を繰り返さないために、我々がまず語り継がなければならないことは、空疎な作戦論やその目的などよりも、多くの日本人将兵がこのように無惨に死んでいった事実であろう。

posted by A at 13:08| 本(戦記) | 更新情報をチェックする