2019年03月10日

【本】白水清治「激戦ニューギニア」

「激戦ニューギニア」 白水清治/光人社NF文庫/2018年
(初版は、2010年に元就出版社から刊行)

 昭和18年5月に東部ニューギニアに上陸し、フィンシュハーフェンの戦い、セピック転進、アイタペの戦いなどを後方支援しつつ終戦まで生き延びた、第20師団歩兵第78連隊の主計曹長の戦記。

 陸士出身将校の指揮の拙劣さや臆病さ、軍律違反が不問に付される不公平さなどを厳しく糾弾した、かなり異色の戦記である。幹候・下士官出身の大隊長や中隊長が勇戦敢闘した一方で、陸士出身将校はおよそ役に立たなかったという感情的な批判に終始しており、一般的にはその統率・人格を高く評価されている第18軍司令官・安達二十三中将についても、相当強い調子で非難を行っている。
 しかし、著者によるこれらの人物評価や状況描写は、必ずしも正確でない部分が見られるように思われる。その例として、以下の3点を挙げる。

1 歓喜嶺の戦いについて
 昭和19年1月頃に、第20師団・第51師団のガリ転進を援護する目的で行われた歓喜嶺の戦いで、歩兵第78連隊第6中隊(長:片山真一中尉、陸士出身)は豪軍をよく防ぎ、残兵20名程度を残して壊滅している。
 この戦いにおける片山中隊長の様子について、著者は以下のように記している。

「片山中尉は、一体どこで何をし、どんな戦死をしたのか一切が不明である。屯営時代は肩を怒らせ、辺りを睥睨し、威勢天を突き、兵を塵芥のように接したあの勢いは、弾丸の下で萎え、縮んでしまったのか…?」

 同じく歓喜嶺で戦った大畠正彦大尉(野砲兵第26連隊第3中隊長)が著した「ニューギニア砲兵隊戦記」(光人社NF文庫)によれば、この片山中尉の最期の模様は、第一線の様子を把握するため壕を出て高地に登ろうとしたところを敵に狙い撃ちされ、山の急斜面を真っ逆さまに転落したと記録されている。歓喜嶺の前線にいなかった著者が、こうした状況を把握していなかったことはやむを得ないにしても、実情を詳しく知らないにもかかわらず、まるで片山中尉が臆病風に吹かれたかのような書き方をすることは、戦死した片山中尉にとっても極めて不公平ではないかと思われる。

 また、この歓喜嶺の戦いでは、守備隊長の香川昭二少佐(歩兵第78連隊第2大隊長、少候出身)はマラリアで病臥して役目を果たせず更迭されているが、にもかかわらず著者は香川少佐を高く評価している。また、上述の大畠大尉(陸士52期)率いる野砲兵第26連隊第3中隊は、山砲わずか2門で豪軍の野砲1個連隊(27門)と渡り合い、見事な戦功を立てているが、著者はこのことに全く言及していない。これらも、公正を欠いた記述と言うべきであろう。

2 サテルベルク高地攻防戦について
 昭和18年10月頃、フィンシュハーフェン近郊のサテルベルク高地をめぐる攻防戦について、直接戦闘に参加していない著者は、関係者の手記などを引用しつつ、かなり独自の解釈を加えてこの戦いの様子を書き下している。その中でも、歩兵第79連隊第2大隊長の竹鼻嘉則少佐や、竹鼻少佐戦死後に大隊の指揮を執った福家隆中尉(いずれも陸士出身)が、攻撃命令に従わず前進を遅滞させたとして、「不可解で怯懦」「蛸壺に潜むこと五日間。『武学十年、我れ土遁の術を極めたり』」などと、かなり品のない表現で批判している。

 しかし、福家中尉(のち少佐。戦後、戦誌刊行会代表として各種戦記を精力的に刊行)が著した「痛恨の東部ニューギニア戦」には、実際に戦場でどのように苦労して密林内を転進し、どのように接敵・交戦し、どのように周囲の将兵が戦死・負傷したかが詳細に描かれている。その内容は具体的で真に迫ったものであり、福家中尉が故意に交戦を厭ったとは考えがたい。
 また、10月20日から24日にかけての戦闘で福家中隊が蛸壺に立てこもったことを、著者は「土遁の術」と揶揄しているが、福家手記を見る限り、敵の猛烈な銃火の前に釘付けにされたのが実情であろう。蛸壺から出た者が一斉射撃を食らい、負傷者続出している様子を見ても、著者が要求するような「他大隊との連携攻撃」が容易に行えるような状況ではなかったように思われる。この戦闘に関しては、後方にいた著者による憶測を交えた記述よりも、第一線で砲火にさらされていた福家中尉の記録の方を信用すべきではないかと考えられる。

3 アイタペの戦いについて
 昭和19年6月、第18軍司令官・安達二十三中将がアイタペ攻撃を発起したことについて、著者は、

「安達中将は大命に抗し、兵を勝手に動員(私兵化)し、自己の時局観に酔い、兵を死地に投ずることなどまったく意に介せず、攻撃命令を発した。
 この瞬間、天皇→大本営→南方軍総司令部→第十八軍に連なる統帥系統の命令を、自ら断ち切り、自己の価値観・時局観により、恣意的に戦闘開始命令を発したのである。したがって、それ以後の安達二十三は、日本の陸軍中将に非ず、ただの軍閥『安達軍』の首領となったのである」

と、激越な調子で非難している。

 アイタペ戦の意義・必要性については、確かに批判的な見解が少なくない。また、フィンシュハーフェンの戦い、ガリ転進、セピック転進を生き延びてきた第20師団の精鋭将兵が、アイタペ戦で一気にすり潰されていく様子は、本書を読んでいても極めて悲惨としか言いようがない。
 ただ、著者は、大陸命第1030号(昭和19年6月17日)の「…第十八軍その他の諸部隊をして同方面の要域に於て持久を策し以て全般の作戦遂行を容易ならしむべし」の一文を引用し、

「大命(天皇の命令)は『持久を策し』であって、自由裁量を安達中将に与えられたものではない。隷下部隊を私兵化した安達中将以下各幕僚こそ『まさに軍法会議もの』である」

として、安達中将を「『大命違反』の大反逆罪」と批判するが、この大陸命に関する大本営の真意は、

「結局、第十八軍のアイタペ攻撃に関しては、その実行を中央から命令し、あるいは逆に中止を命令するような指導を行わず、ただ第十八軍司令官が自由に状況を判断し、その所信に従って善処し得るように、包括的な任務を与えることとした」(戦史叢書「南太平洋陸軍作戦<5> アイタペ・プリアカ・ラバウル」p97)

というものであり、著者の主張は曲解と言わざるを得ない。
 また、第18軍の軍需品が残存するのは8〜9月末頃までと予想される状況下で、敵をニューギニアに拘束し、戦局全般に寄与することが作戦の大きな目的であったこと、また作戦発起までに安達中将が深刻に苦悩したことなどは、上掲の戦史叢書のほか各種の戦記にも記されている。このような事実関係を考慮すれば、「兵を勝手に動員(私兵化)し、自己の時局観に酔い、兵を死地に投ずることなどまったく意に介せず…」という著者の安達中将評は、さすがに目に余るものと言うべきであろう。

 以上の1〜3を踏まえれば、本書は、「陸士出身将校は無能・臆病、それ以外の将校は優秀」という著者の個人的な思い込みに記述内容を合わせようとするあまり、事実関係の描写が正確性・公平性を欠いているとの批判は免れないのではないかと思われる。
 ただ、合わせて留意すべきは、著者にこうした強烈な情念を植え付けた、ニューギニア戦線の異常な過酷さであろう。人間の極限とも言うべき状況の中で、下士官兵が陸士出身将校から理不尽な目に遭わされた事例は、実際に相当数あったものと思われる(複数の戦記を見る限りでは、例えば第20師団の各連隊長はかなり評判が悪い印象を受ける)。戦後65年を経て、著者がこのような本を書くに至ったこと自体が、著者が送られた戦場が極めて不条理な世界であったことを端的に示す証左であろう。

posted by A at 21:49| 本(戦記) | 更新情報をチェックする