2018年07月28日

【本】両角良彦「1812年の雪 モスクワからの敗走」

「1812年の雪 モスクワからの敗走」 両角良彦/講談社文庫/1985年
(初版は、1980年に筑摩書房から刊行)

 1812年に行われ、無惨な失敗に終わった、ナポレオンのロシア遠征の模様を描いた本。

 1812年6月24日、47万5千(兵数は諸説あり)の大軍でポーランドからロシアに侵攻し、同年12月14日、わずか5千の兵力でロシアからポーランドに帰り着いた、ナポレオン軍の悲惨な遠征の経過を追った本である。著者は、太平洋戦争中にミンダナオ島で戦った両角業作中将(第30師団長)の子息であり、在フランス日本大使館勤務などを経て、1971年から73年まで通産省事務次官を務めている。城山三郎「官僚たちの夏」に登場する、牧のモデルとなった人物としても知られている。

 昔読んだトルストイの「戦争と平和」では、ナポレオンのロシア侵攻の失敗は、大きな歴史の流れの中でもたらされた、必然的な帰結といったようなイメージで描かれていた記憶があるのだけれど、本書は、遠征から奇跡的に生還した将兵の手記や、先行する研究などを踏まえつつ、史実に即した実証的な描写を心がけている。これらは両書の手法の違いであり、優劣をつける性質のものではないと思うけれど、遠征の当事者たちの具体的な証言を丹念に収集した本書は、その内容の説得力において、確かに一目置かれるべき作品と思う。

 また、本書については、その優れた構成力も見逃せない点である。自信に満ちあふれた遠征のスタートから、酸鼻を極めた結末まで、読み手を引き込むストーリー展開が組み立てられている。特に、本書の半分の分量を費やして描かれている凄惨な撤退行の様子は、生還を期待できない兵士たちの絶望感をありありと感じさせるものであり、著者の卓抜した文才をうかがわせる内容となっている。官僚という、人文学的な素養とは距離のある仕事を続けながら、どうやって著者はこのような筆力を育てたのか、興味を惹かれる部分ではある。

posted by A at 22:38| 本(歴史) | 更新情報をチェックする