2015年02月15日

【本】高木俊朗「全滅 −インパールV−」

「全滅 −インパールV−」 高木俊朗/文春文庫/1987年
(単行本は、1968年に文藝春秋から刊行)

 インパール作戦後期に前線に投入され、軍上層部や参謀の体面維持のために無謀な攻撃を強いられた部隊の、苦闘と壊滅の模様を描いた作品。高木俊朗のインパール四部作の第三作。

 既にインパール作戦の失敗も明白になりつつあった、昭和19年5月。第33師団(弓兵団)が担当していたニンソウコン(ニントウコン)方面の戦線を強化するため、戦車第14連隊(長:井瀬清助大佐)、歩兵第67連隊第1大隊(長:瀬古三郎大尉)、歩兵第154連隊第2大隊(長:岩崎勝治大尉)などの部隊が相次いで増援された。戦車連隊長の井瀬(いのせ)大佐がこれらの部隊の指揮を執ったため、この混成部隊は「井瀬支隊」と総称された。

 ところが、膠着した戦線の打開を焦っていた弓兵団参謀は、逐次前線に到着してくる井瀬支隊の各部隊を、敵情を視察する暇すら与えないまま、無理やり敵陣地に突っ込ませ続けた。その結果、昼夜兼行でようやくニンソウコンに辿り着いた将兵たちは、少人数のまとまらない部隊のまま無茶な突撃に駆り立てられ、圧倒的に強大な英印軍の前で、次々に死傷者の山を築いていくのだった。

 こうした参謀の無謀な攻撃命令の真意を、戦車連隊本部付の中村達夫大尉は、以下のように推測している。

「『師団はずるいと思います。井瀬支隊が一マイルでも二マイルでもインパールに近づけば、師団がそれだけ前進したことにして、十五軍に報告したいのです。だから、せっかくポッサンバン(注:ニンソウコンの北の集落)まで行ったのを撤収するのはおしいという腹なんです』
 中村大尉は師団の堀場参謀の支離滅裂な要求を、そのように読みとった。
『連隊長殿、この南道上には、師団の直属の部隊は一兵もおらんのですよ。井瀬支隊といえば、ていさいはよいが、配属部隊の寄せ集めです。師団の直属部隊は全部山岳地帯にあがっています。こんな泥沼みたいなところに、戦車をだしても、どうにもならないことは、堀場参謀は知っていますよ。戦車出身の参謀ですから。戦車はインパール突入の時以外は、もう、役に立ちません。それでも戦車をだしておけば、泥にうまって動けなくなっても、師団としては「戦車連隊は本道上をインパールに向い突進中なり」と、軍に報告ができます。結局、配属部隊を犠牲にして、功名手柄だけは自分のものにするやり方です』」

 度重なる強引な攻撃で死傷者続出した井瀬支隊は、結局、7月中旬までニンソウコンの死守を命じられ、弓兵団撤退の捨て石にされて、ほとんど全滅状態に追い込まれた。著者の作品としては、昭和24年に刊行され、インパール作戦の悲惨さを世に知らしめた「インパール」や、第31師団(烈兵団)の佐藤師団長の抗命撤退を取り上げた「抗命 −インパールU−」が有名だが、インパール戦線で最後まで戦った井瀬支隊の、惨憺たる戦闘経過と最期を緻密に描いた本書も、強い印象を残す一作である。


posted by A at 19:37| 本(戦記) | 更新情報をチェックする