2014年10月05日

【本】筒井正明「英文解釈その読と解」

「英文解釈その読と解」 筒井正明/駿台文庫/1987年

 駿台予備校の英語講師が上梓した、英文解釈の受験参考書である。受験生時代にいろいろな英文解釈の本を活用したけれど(伊藤和夫とか)、その中でも本書はかなり手ごわい一冊だった。知恵をしぼって一生懸命訳文を書き上げても、簡潔にして要を得た訳例には似ても似つかず、自分の和訳の下手さ加減を何度も呪わしく思ったものだった。著者の本業が英文学の大学教授で、海外小説の翻訳を何冊も手がけていることを知ったのは、受験が終わってからずいぶん後のことだった。

 本書は構文や文法の解説を実に丁寧に行っていて、これだけでも優れた参考書と呼ぶことができる。けれど、本書の最大の特質は、採録された英文の良質さにあるのではないか。10代後半の、ちょうど人生を思い悩む時期の若者の心に届く、ピンポイントな文章が厳選されている。著者の解説も、技術的な指導にとどまらず、苦しい期間を過ごす受験生への思いやりにあふれていて、受験参考書の枠内に収まらない良書と言えるのではないかと思う。

 その一例として、本書に取り上げられた25編の英文の中から、「恥ずかしがり屋はいけないの?」という1編の英文と訳例、解説の一部を抜粋してみる。「構文理解」のほかに「内容理解」の解説があるのが、本書の大きな特徴であろう。


(英文)「恥ずかしがり屋はいけないの?」
 It is surely discreditable, under the age of thirty, not to be shy. Self-assurance in the young betokens a lack of sensibility : the boy or girl who is not shy at twenty-two will at forty-two become a bore. ‘I may be wrong, of course’-- thus will he or she gabble at forty-two, ‘but what I always say is…’
 No, let us educate the younger generation to be shy in and out of season, for shyness is the protective fluid within which our personalities are able to develop into natural shapes. Without this fluid the character becomes merely standardized or imitative ; it is within the tender velvet sheath of shyness that the full flower of idiosyncrasy is nurtured ; it is from this sheath alone that it can eventually unfold itself, coloured and undamaged. Let us shy understand, therefore, that their disability is not merely an inconvenience, but also a privilege. Let them regard their shyness as a gift rather than as an affliction. Let them consider how intolerable are those of their contemporaries who are not also shy.

(訳例)
 30歳に達してないのに恥ずかしがり屋でないというのはいかにも恥ずべきことである。若者が自信たっぷりなのは、ある感受性の欠如を示している。22歳で恥ずかしがり屋でない若者は42歳のときには退屈な人間になってしまう。「そりゃあ私ももちろん、まちがっているかもしれないけど、でもねェ、私がいつも言ってることは…」と、42歳のとき、そういう連中はしゃべってることだろう。
 そう、若者には絶えず内気であれと教えようではないか。それというのも、内気さこそが人間個性がその本来の形へと成長していく過程を護ってくれる保護液だからである。これなくしては、個性も単にありきたりのものか、借りものとなってしまう。個性という満開の花が養われるのは、内気さという柔らかなベルベットのおおいのなかであり、その花が色あざやかに傷を受けることなく花開いてくるのも、そのおおいのなかからだけである。だとすれば、恥ずかしがり屋の人には、その内気さが単に不便なものであるばかりか、一つの特権でもあることを理解させよう。おのが内気さは苦しみであるよりもむしろ天から授かった贈りものだと考えるようにさせようではないか。内気な若者には、自分と同世代の内気でない連中がいかに耐えがたい人間であるか考えさせてみよう。

(解説(内容理解))
「…30歳前の若者が地位や名誉、あるいは価値ある業績などをもっているはずがない。ところで人間の自信とはそういう自分の成就した具体的な価値から生じてくるものであるのだから、「若者の見せる自信」とは、根拠のないものに対して自信をもっていることになる。若者は自惚れるべくいったい何をなしたというのか?何かをなすのはこれからだ。傍若無人の厚かましい自惚れ屋の若者というのは、したがって、ある精神の稀薄さ、より深いものに対する感受性が欠如しているようだと筆者は言う。逆にいうと、恥ずかしがり屋の若者は自己の内に自分独自の精神、つまり個性の成育の可能性を感じながら、いまだその成育が具体的な現実の形をとっておらず、外界に対する違和感と、内部のそういう不確実さから、他者に対しては恥ずかしがり屋にならざるをえないということになる。厚顔無恥の若者は内部における個性の成長を感じてないから、厚かましく振舞うことができるのだ。…
 真の自己・真に自分が信ずべきものを模索し、遅々としてはいてもたしかな自己の発見を目指している者は、その形成期たる青春期には、当然のことながら、他者に対して恥ずかしがり屋になる。あたかも個としての肉体的な誕生において羊水という保護液がその成長を護ってくれたごとく、独自の個性としての精神的な誕生においては内気さという保護液がその成長を護ってくれる。…
 すぐれた精神の持ち主で、若い時にそういう対人関係の苦しさに悩まなかった人は一人もいない。むしろ内気さはgift(「才能」よりも本来の「天からの贈りもの」の訳の方がいいかもしれない)であると考えよう。35歳を過ぎれば、たいがいの人間は図々しくなる。そのとき、真の個性の成熟に基づいた自信をもてるようにしようではないか。」

posted by A at 19:12| 本(その他) | 更新情報をチェックする