2014年02月16日

【本】山本七平「洪思翊中将の処刑」

「洪思翊中将の処刑 上・下」 山本七平/ちくま文庫/2006年
(初版は、1986年に文藝春秋から刊行)

 卓越した能力と高潔な人格によって昇進を重ねた朝鮮出身の軍人・洪思翊中将が、太平洋戦争後、BC級戦犯として処刑されるに至った経緯を追った本。

 「人間とはその人生において、しばしば、本人が全く予期しない役割を演じさせられるものであろう」(本書より)。王族の例を除き、朝鮮人として唯一将官の地位まで上り詰めた洪思翊中将は、戦争末期にたまたま比島俘虜収容所長の地位にあったために、フィリピンにおける連合軍捕虜虐待の責任を一身に負わされて刑死した。植民地出身者として困難な軍人生活を送ってきた洪中将は、戦後は郷里で数学教師を務めながら平穏に暮らすことを望んでいたというが、彼を待ち受けていたのは、その温和な性格には似合わない過酷な運命であった。

 当然のことながら、洪中将が連合軍捕虜を虐待するよう指示した事実などは全くなかった。しかし洪中将は、戦犯裁判における検察側の的外れな責任追及に対して、一切の弁明を行わなかったという。それは中将の廉直な性格によるものでもあったろうが、同時に、無理やり理屈をでっち上げてでも誰かに「落とし前」をつけさせようとする戦犯裁判の、その虚構性に対する拒絶と諦めの意思表示ではなかったか。彼の辞世の和歌2首(「くよくよと思つてみても愚痴となり 敗戦罪とあきらむがよし」「昔より冤死せしものあまたあり われもまたこれに加わらんのみ」)は、そうした彼の心情を端的に示したものであろう。

 弁護側の懸命の法廷闘争にもかかわらず、洪中将は1946年4月に絞首刑判決を受け、早くもその年の9月には刑の執行を受けることになる。フィリピンで日本人戦犯処刑の現場に立ち会い続けた片山牧師は、処刑直前に取り乱す戦犯が少なからずいたことに触れた上で、洪中将の最期について次のように書き残している。

「もちろん、立派な態度の人もいた。なかでも抜群だったのは、韓国出身の洪思翊中将である。このときは私一人で、中将のために「聖書」を朗読した。洪中将は寸毫の乱れも見せなかったばかりか、あべこべに、
『片山君、何も心配するな。私は悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな』
と、逆に私を励まされた。時間がきてMPが近づくと、中将は落ち着いて立ち上り、
『片山君、君は若いのだから、身体を大事にしなさいよ。そして元気で郷里に帰りなさい』
と、別離の言葉を送られた」

 これだけ落ち着いて自らの死を、それも他者の責任を負わされての死を迎えることができる人物が、果たしてどれだけ存在するだろうか。その淡々とした最期の様子からは、ただ中将の清涼な人柄が偲ばれるばかりである。

posted by A at 20:03| 本(戦記) | 更新情報をチェックする