2012年07月01日

【本】深田久弥「日本百名山」

「日本百名山」 深田久弥/新潮文庫/1978年
(初版は、1964年に新潮社から刊行)

 豊富な登山経験を基に、著者が個人的に日本の名山100座を選定し、それぞれの山の雰囲気や歴史、実際に登った感想などを綴った本。

 「お前さぁ、登った百名山の数を数えているうちは、まだ山の素人だよ」

 学生時代に登山を始めたころ、山の先輩たちからよくこんなことを言い聞かされた。ちょうど世間では百名山ブームが広がりつつある頃だったけれど、そんな風潮に対して、彼らは実に厳しい視線を投げ掛けていた。曰く、「百名山ばかり選んで登っているような連中は、単に『自分はこんなにたくさん登ったんだ』という事実を他人に自慢したいだけの輩だ。本当に山が好きな人間なら、その山が百名山であろうがなかろうが、喜んで登るはずではないか」――。実際、彼らの多くは、登った百名山の数など全く意に介さないか、中には本書や深田久弥その人さえ毛嫌いする人もいたように思う。

 あれから十数年が経ち、生来運動神経の鈍い私は、結局先輩たちのような熟練登山者になることはなかった。現在ではせいぜい平凡な低山歩きを楽しむ程度のハイカーにすぎないのだけれど、それでも改めて数えてみると、百名山と呼ばれる山々のうち、半分くらいには登っている。そうした山歩きの過程で、ひとつ気がついたことがある。それは、百名山の山々が誇る「打率の高さ」だ。

 山の形の美しさ、縦走路をたどる満足感、そして山頂から得られる見事な絶景。百名山には、一度登ってみると何かしら新鮮な印象を与えてくれる山が実に多い。言わば、百名山にはほとんど「外れがない」のだ。普段足慣らしに登るような無名の山々も、それはそれで悪くはないのだけれど、途中ほとんど眺望が利かなかったり、登りも下りも単調だったりするなど、あまり記憶に残らないような山が少なくない。「百名山」の名を冠した山に登るときは、やはり「この山は凡百の山とは違う、何か目を引くところがある山なのだろう」という期待を抱いてしまうし、大抵の場合、その期待を超える充実感を得て下山することができるのである。

 本書を読むと、著者は現代よりもよほど不便なアプローチをこなして、相当多数の山々に登っていることがよく分かる。そうした経験から垣間見える登山の楽しみや、著者が描く百名山の魅力は、どうしても人を惹きつけずにはおかないものだ。オーバーユースや未熟な登山者の増加など、百名山を取り巻く問題は多々あるけれど、しかし、その罪を本書や著者に求めてしまうのは、少し酷ではないかなという気がする。

(おまけ)
 本書を読んで、以前から気になっていることがある。それは、九州・霧島山の扱いについてだ。「霧島山」という単体の山は実は存在せず、複数の山々からなる山域全体が「霧島山」と総称されているのだけれど(こういう例は、立山、赤城山、阿蘇山など結構多い)、本書の「霧島山」の項を見ると、ほぼ全編、霧島連峰の一つである高千穂峰のことについて述べられている。
 それならば、「深田百名山を完登する」と言う場合、高千穂峰に登っておかなければならないのではないかと思うのだけれど、一般的には高千穂峰ではなく、霧島連峰最高峰の韓国岳(1,700m)に登ることをもって、「霧島山に登った」とするケースが少なくないように思われる。しかも、高千穂峰は「日本二百名山」に選ばれている(=つまり、「百名山ではない」という扱いになっている?)のだ。
 このあたり、どういう整理がなされているのだろうか。


posted by A at 09:08| 本(登山、鉄道、旅) | 更新情報をチェックする