2012年04月01日

【本】清武英利「巨魁」

「巨魁」 清武英利/WAC/2012年

 2004年から11年まで読売巨人軍代表を務めた著者が、巨人の「ドン」である渡邉恒雄氏との関係に触れつつ、球団代表としての自らの活動を振り返った本。

 「ナベツネを激しく糾弾するような本か」と思って読み始めたが、違った。過去の巨人軍にどのような問題点があったのか、それを著者がどう改善していったかという、7年にわたる著者のGM業の総括に主眼を置いた本だった。ただし、著者が球団の改革に取り組む中で、渡邉恒雄という人物がどのように障害となったかについても、要所要所で詳しく述べられている。

 球団代表の職を与えられた著者は、巨人を、FA制度導入後の「大艦巨砲主義」のチームから、育成を重視したチームに変革しようと努力している。その方向性は高く評価されて良いのではないかと思う。右も左も分からぬ新人選手が、失敗を繰り返しながら成長し、やがてチームの中心選手として花開いていく過程を見守ることは、プロ野球ファンにとって大きな醍醐味の一つだ。私は巨人ファンではないけれど、そうやって育っていった生え抜きの選手たちが揃っていた、80年代から90年代初頭ごろまでの巨人は、決して嫌いなチームではなかった。

 しかし、務台光雄氏が死去し、渡邉氏が球団を思うがままに操るようになると、巨人の球団運営には疑問符の付く部分が現れてくる。たとえば本書は、渡邉氏の発言として、次のようなものを紹介している。

「渡邉の野球知識は素人以前というところだ。数年前、桃井恒和が呆れていた。
『この前、渡邉さんに会ったら、聞かれたよ。『いまさら誰にも聞けないんだがな。君、遊撃と二塁はどちらが一塁に近いんだ?』と。それは二塁ですよ、と俺は答えたよ。驚いちゃった』」

 あまりの話に、思わず本書を読み進める手が止まった。「最後の独裁者」を自称し、球界を好き勝手にかき回す人物が、野球の知識の基本さえ理解していないということが、現実にあり得るのだろうか。おそらく渡邉氏の意向が大きく影響したであろう、巨人によるFA選手の乱獲は、他球団ファンの眉を顰めさせて余りあるものだったが、「エースと四番を並べれば強くなる」という発想は、確かに、野球の素人ならではのものではある。

 また、渡邉氏は、思いつきで周囲を振り回し、たびたび巨人や球界に混乱をもたらしている。その詳細については本書を参照されたいが、しかし渡邉氏は、「独裁者」を自負する割には、妙に脇が甘いところがある。本書によれば、渡邉氏は読売新聞グループで高い地位にある人間を切るとき、口封じのために、グループ会社の顧問などのポストをあてがうことを忘れなかったという。では、なぜ渡邉氏は、よりにもよって著者を、捨て扶持を与えることすらしないまま、寒空の下に放り出したのだろうか。知ってはいけないことを知り尽くした人間が追い詰められたら何をするか、素人でも簡単に推測できそうなものである。怒りに任せて著者を窮地に追い込み、その結果、本書の出版や朝日新聞による一連のスクープなど、「窮鼠猫を噛む」ような事態を招いたのだとしたら、それは渡邉氏の「独裁者」としてのセンスの衰えを、端的に示す事実と言ってよいのではないか。

 もちろん、本書に書かれていることがすべて正確な事実、というわけではないだろう。著者は、自分自身の失態(例えば、外国人補強の度重なる失敗)について、本書の中で十分に説き明かしているとは言い難い。本書に客観的な説得力を持たせたいなら、著者は、そうした自らの失敗についても率直に触れるべきであったろう。また、著者が球団代表になって以後のドラフトに関しても、本当に「何もなかった」のだろうか。長野久義や澤村拓一、菅野智之らの言動を見て、なんとなく違和感を覚えたプロ野球ファンは、決して少なくはなかったように思える。

 だが、そうした部分を割り引いたとしても、渡邉氏による専横のありさまを生々しく天下に晒したことは、やはり本書の功績と言えるだろう。本書を読むと、著者には長年にわたる渡邉氏の横暴に対する鬱積した感情があり、昨年のコーチ人事をきっかけにそれが爆発して、あの「重大なコンプライアンス違反」に関する記者会見に至った、という経過がはっきりと見て取れる。巨人を強くしようと地道に努力する、やや不器用で融通の利かない性格の著者と、巨人を読売新聞拡販の道具と見なし、気ままに球団を差配する「独裁者」の渡邉氏は、いずれ衝突することは避けられない運命だったのだろう。

posted by A at 22:09| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする