2010年09月12日

【本】後勝「ビルマ戦記 ―方面軍参謀 悲劇の回想」

「ビルマ戦記 ―方面軍参謀 悲劇の回想」 後勝/光人社/2010年(新装版)

 昭和19年から20年にかけて、ビルマ方面軍後方参謀として主に軍の兵站・補給面を指導した少壮幕僚による戦記。

 太平洋戦争のビルマ戦線といえば、多大な犠牲をもたらしたインパール作戦(昭和19年3月〜7月)が広く世に知られる。しかしビルマの日本軍は、インパール作戦後の撤退戦の過程で、インパール作戦よりさらに多数の戦没者を生み出している。本書は、戦線全体を俯瞰する立場にいた著者が、こうしたビルマ戦後半期の悲惨な戦闘の実情を描いた記録である。

 昭和19年1月、参謀本部第二課(作戦課)からビルマ方面軍に着任した著者は、軍の後方参謀として、兵站支援を計画・指導する任に就く。着任早々予定されていたインパール作戦に際して、著者は作戦開始前に第15軍の弓兵団(第33師団)、烈兵団(第31師団)、祭兵団(第15師団)の各司令部を巡回訪問する。そして、補給面の弱点を補う方策と、雨季を控え作戦転換の時期を誤らぬよう特に注意すべきことを軍首脳に意見具申しようとするが、同じ後方担当の主任参謀から、

「この作戦は第十五軍が計画し、方面軍も総軍も大本営も承認した作戦で、方面軍の作戦班も、この計画で一ヵ月間にインパールを落とすというのだから、まかせておけばよいのではないか。われわれ後方のものは、その作戦計画の範囲内で後方の仕事をすればよいので、それ以上の口出しは僭越だ」

と一蹴されてしまう。さらに5月初頭、著者は危険を冒して行った現地視察を踏まえ、「インパール作戦の遂行は、糧食の持久限度と雨期入りの時期をあわせ考え、五月末が限度である。五月末には自主的に作戦を打ち切り、全軍一斉にチンドウィン川の線に後退し、雨期体制に入って戦力を回復することが必要である」と軍に報告したところ、

「方面軍の一部幹部の中には、臆病なる発言をなす者があるが、これら臆病な幹部の存在が方面軍目下の最大の敵である」

として冷遇すらされるに及ぶ。当時の主だった方面軍幹部は、前線の実情を把握しようともせず、自らの保身のために、ただ上滑りな積極論を繰り返すばかりであった。

 その後も著者は、無責任な攻勢主義を唱える作戦主任参謀と衝突しつつ、繰り返し戦場を視察して軍の後退戦を指導する。特に昭和20年4月、僅かな同行者とともに危険な前線に向かい、乱戦の中で敵中に残され行方不明になっていた龍兵団(第56師団)、弓兵団、烈兵団との連絡に成功するくだりは、一種の冒険譚を読むような感を抱かせるものである。同時期の方面軍首脳が、在留邦人やビルマ政府要人を置き去りにして、ラングーンから逃げ出す醜態を演じたことと好対照だが、結局、敗軍の混乱の中で曲がりなりにも組織を支えたのは、著者らのような一部の気骨の人材だったのだろう。


posted by A at 21:04| 本(戦記) | 更新情報をチェックする