2009年08月07日

【本】丸山豊「月白の道」

「月白の道」 丸山豊/創言社/1970年
(新訂増補版(1987年)で読みました)

 太平洋戦争中、北ビルマのミイトキーナで戦い、辛くも生還した軍医による回想記。著者は戦後、医院を開業するとともに詩人としても活躍し、1991年、その業績を称えて、郷里久留米市が「丸山豊記念現代詩賞」を創設している。

 北ビルマ・雲南戦線における過酷な戦場の一つ、ミイトキーナで、第56師団(龍(たつ)兵団)の歩兵団長である水上源蔵少将の側近として戦った軍医中尉の戦記である。戦後、現代詩人として高い評価を得た人物による記録であるためか、どことなく叙情的で幻想的な雰囲気を持つ作品であり、そうした作風が、ある意味では戦いの凄惨さをより一層際立たせている。

 太平洋戦争開戦後、著者の属する坂口支隊(坂口静夫少将指揮)はミンダナオ、ボルネオ、ジャワ上陸戦に勝利し、その後、龍兵団本体に再合流して北ビルマの戦いに参加する。昭和19年、第18師団(菊兵団)歩兵第114連隊が守る交通の要衝、ミイトキーナが連合軍の攻勢を受け、危殆に瀕したことから、坂口少将の後任、水上少将に救援命令が下る。もっとも、同時期に進行していたインパール作戦のあおりを受けてビルマ戦線はどこも兵力不足に陥っており、水上少将が率いた増援部隊も、僅かに歩兵1個小隊他の小部隊だった。

 水上少将がミイトキーナに着任した後も、連合軍は圧倒的な兵力で攻撃を続け、日本軍守備隊は次第に全滅の危機に近づく。既に軍からは「水上少将はミイトキーナを死守すべし」(=現地を死ぬまで守り、生きて撤退することは許さない、の意)との命令が発せられていたが、まだ生存している部下を救うため、水上少将は退却命令を下して自決する。著者は、少将自決直後の模様を次のように描いている。

「起案用紙がぬれていなかったところをみると、そのときはもう雨がやんでいたのかもしれない。用紙には鉛筆がきで命令がしたためられ、書判をおしておられた。
 ミイトキーナ守備隊ノ残存シアル将兵ハ南方ヘ転進ヲ命ズ。
 伝令がはしって高級副官も次級副官もかけつけた。水上閣下のこの絶筆は、二階級特進も軍神の名もなげうって、いさぎよい抗命のかたちで、まだ生きのこっている私たち約七百名の延命を策されたものである。
 堀江屋副官が、連隊本部へ閣下の死を報告にいったあいだ、執行大尉は閣下の魂のない体をだきかかえ、私は微弱な心音を無意味にきいていた。(以下略)」

 苛烈な戦場で部下をいたわり、わずかな食料や煙草も部下に分かち与え、菊兵団の将兵でさえ「閣下に一目お目にかかってから死にたい」とわざわざ挨拶に来る者が絶えないほど、水上少将の徳性はミイトキーナに響いていたという。本書の冒頭で著者は言う。

「私たちはおたがいに心の虫歯をもっていたほうがよい。ズキズキと虫歯がいたむたびに、心のおくの一番大切なところが目ざめてくる。でないと、忘却というあの便利な力をかりて、微温的なその日ぐらしのなかに、ともすれば安住してしまうのだ。さえざえとした一生を生きぬくには、ときどき猛烈な痛みを呼びこむ必要がある。」

 著者にとっての大きな「心の虫歯」は、敬慕する将軍を悲惨な戦場で失ってしまったこと、それをどうすることもできなかったことへの、強い心の痛みであったに違いない。

posted by A at 21:07| 本(戦記) | 更新情報をチェックする