2009年06月01日

【本】武藤章「比島から巣鴨へ」

「比島から巣鴨へ」 武藤章/実業之日本社/1952年
(中公文庫版(2008年)で読みました)

 太平洋戦争開戦期に陸軍省軍務局長として軍部を主導し、その後近衛第2師団長、第14方面軍参謀長を務め、敗戦後にA級戦犯として処刑された武藤章中将の回顧録。大きく分けて、誕生から終戦までの来歴を記した「経歴の素描」、フィリピンでの戦いの経過を詳述した「比島戦の実相」、巣鴨に拘置された日々を綴った「巣鴨日記」の三編からなる。

 陸軍きっての俊秀と呼ばれた武藤の自伝だが、陸軍中枢部や支那派遣軍で腕を振るった佐官以降の時代の記述は、曖昧で不明確な部分が多い。特に、対支戦線拡大や三国同盟、大政翼賛運動などに関する彼の思想や行動は結果的に国の方向を誤ったものであり、この点、彼自身の手による明確な総括を期待したかったところではある。

 しかし、フィリピンでの苦戦の模様や、巣鴨での日々に関する記録は、軍人の筆になるものとしては比較的客観性を失わず、また滋味を含んだものだ。米軍に押され第14方面軍全体が窮地に陥る中、蠅を叩いている山下奉文大将に向かって、

「老将の蠅叩きおり卓ひとつ」

の句を詠み、大将から「でもここには老将はおらんよ」などと返されるさまは、苦境にあって精神の余裕を失わない彼の姿を端的に示すものだろう。

 戦後、巣鴨の獄中で旺盛な読書に励む著者は、H.G.ウェルズの「世界文化史」の中で職業将軍の頭の堅さが徹底的に罵倒されていることについて、「聡明で悧巧な将軍がいて、日々外界の新しい刺戟によって事物を変更していたら、その結果どんな軍隊が出来上るだろうか。恐らく戦争の役には立つまい」と反論を試みている。米内光政にも似たような言葉があったと記憶するが、このように軍人自身を客観的に見ることができる軍人が、当時どれほどいただろうか。著者には少年の頃から文学、思想、哲学等の耽読癖があったそうだが、惜しむらくは軍人に似つかわしくないそうした識見が、軍の中枢にある時に適切に発揮されるほど強固なものではなかったことだ。結局、彼自身も「頭の堅い」軍人の呪縛から逃れられなかったということだろうか。

posted by A at 00:05| 本(戦記) | 更新情報をチェックする