2009年05月24日

【本】橋本克彦「線路工手の唄が聞えた」

「線路工手の唄が聞えた」 橋本克彦/JICC出版局/1983年
(文春文庫版(1986年)で読みました)

 明治初期から昭和三十年代までの約九十年間、線路の保全作業に携わる線路工手たちの間で歌われた作業歌「道床搗き固め音頭」の歴史と、歌を通して見えてくる鉄道整備の裏面史を描き出した作品。1984年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

 線路が平衡を失うことにより、列車が脱線・転覆事故を起こすことがある。そうした事故を防ぐためには、線路を敷設する土台となっている、砂利の道床をきちんと整備しておくことが重要になる。現在は機械による作業が行われているが、かつては線路工手と呼ばれる工夫たちが、ツルハシに似た「ビーター」という工具を振るって、人力で道床を整えていた。

 そして、工夫たちの単調で退屈な作業に張り合いを与え、作業の呼吸を合わせるために歌われたのが、「道床搗き固め音頭」だった。著者は、全国各地でそれぞれ独自の進化を遂げ、昭和三十年代には機械化により急速に姿を消していった「道床搗き固め音頭」の記録を追い求め、その変遷を通じて、かつて日本が乏しい国力で無理に鉄道整備を進めた軌跡を浮かび上がらせている。

 一例として、「線路検査」というシステムが挙げられている。これは、大正十五年に制定された「優良線路班表彰規定」に基づき、各保線区の線路を検査し、整備状況の良い線路班を表彰するという制度だが、その査定基準は常軌を逸していると言えるほど細かいものであった。検査制度の導入を受けて、高い職業精神を持つ線路工手たちは、「側溝の石垣をタワシで磨く」までの膨大な努力を重ね、検査で好成績を得られるような線路整備を行うことになった。

 その結果、昭和初年から戦争までの約十五年間、日本の線路は世界一と言ってよいほど美しい整備状況を達成したという。政府は限られた予算の下、鉄道のスピードアップや輸送力増大の要請に応えるために、こうした表彰制度のような仕組みにより人的資源を最大限に活用することで、高水準の線路保全を実現したのだった。しかし、それは一方で、残業代の付かない自主作業で「行き過ぎた検査」に対応した線路工手たちに、ある種の徒労感を残すものでもあった。

 あとがきに著者は言う。「線路を守り続けた男たちは、多くを語らない人々であった。自分の人生をわざわざ言葉に置き換え、そのうえで価値づけたり、理解したりするというまわりくどいことをしなくとも、ずしりと手応えのある生き方をした者の充実した沈黙とともに、彼らは人生の次の舞台へと静かに移り行くのであろう」。近代日本の鉄道史を支えてきたのは、まさにこうした寡黙で誠実な人々の努力の集積だったのだろう。

posted by A at 20:39| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする