2018年10月28日

【本】武田綾乃「青い春を数えて」

「青い春を数えて」 武田綾乃/講談社/2018年

 思春期特有の悩みや葛藤など、高校生たちの飾らない心情を描いた短編小説集である。本書所収の5編の小説の中では、姉妹の微妙な関係を見事に描ききった「側転と三夏」が、文学としては最も成功している作品ではないかと思う。何でもそつなくこなす器用な妹が、大ざっぱだが愛嬌ですべてを乗り越えてしまう姉に対して抱く、愛憎半ばした複雑な感情が、きめ細やかに描き出されている。姉の包容力を感じさせるラストも温かく、良い読後感を残す一編である。

 また、武田作品で読者の期待を集めるのは、やはり「白線と一歩」や「漠然と五体」のような、「思春期の女子生徒同士の、(やや踏み込んだ)関係」を描いた物語だろう。特に「漠然と五体」は、ロードムービー的な場面転換を交えながら、優等生と不良風の少女の、変化と成長を鮮やかに表現していて、非常に印象的な一作である。こうした同性間の、強い引力のような友情を描くことにかけては、著者は当代随一の名手と言ってよいのではないか。登場人物の繊細な心情に立ち入りながらも、生々しくなりすぎないように描写を行う力は、著者一流の手腕ではないかと思われる。

 それにしても、著者は、「漠然と五体」に登場する清水千明や、あるいは別作品の「立華高校マーチングバンドへようこそ」に出てくる柊木芹菜のような、「一癖ある美少女」を魅力的に描くのが上手い。彼女らの造形は、他の登場人物に比べて、細部まで設定が行き届いている印象もあり、不思議な説得力を持っている。著者自身の思春期の頃に、周囲にモデルとなるような人物でもいたのだろうか。

posted by A at 09:18| 本(小説) | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

【本】斎藤環「承認をめぐる病」

「承認をめぐる病」 斎藤環/ちくま文庫/2016年
(初版は、2013年に日本評論社から刊行)

 精神病理学を専門とする大学教授の著者が、さまざまな雑誌などに寄稿した論文や原稿を、1冊の本にまとめたもの。

 精神医療関係の論考を精力的に発表されている著者の、論文アンソロジーとでもいうべき本である。社会全体の風潮やセンセーショナルな事件を、精神分析の切り口から解き明かそうとしたものから、かなり臨床的・専門的な内容のものまで、バリエーションに富んだ原稿がまとめられている。このような、やや取っつきにくい本がそれなりに売れたのは、著者自身が文庫版あとがきで述べるように、(本の内容とは関係のない)表紙の女の子が、かなり魅力的だったからではないかと思われる。正直に言えば、私も表紙で買った。

 本書に収められたさまざまな論文を読むと、比較的平易で読みやすいものや、門外漢には呑み込みづらい難解なものなど、想定する読者層に少なからずブレがあり、やはりちょっと読みにくい。そうした中で、個人的によく理解できたのは、秋葉原無差別殺傷事件の犯人を取り上げた「秋葉原事件 三年後の考察」という一編である。両親から理不尽な虐待を受けて育った犯人が、どのように人生の袋小路に迷い込み、なぜ悲劇的な爆発に至ったのかを、事実関係に即しつつ丁寧に分析している。精神医学の詳しい知見を持ち合わせていないので、著者の分析が専門的にどれほど的確なのかは分からないけれど、少なくとも素人目線で読んだ限りでは、示唆に富んだ考察であるように思えた。

posted by A at 17:52| 本(評論) | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

【本】中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」

「チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代」 中村紘子/中公文庫/1991年
(初版は、1988年に中央公論社から刊行。また、2012年に新潮文庫からも刊行)

 1986年に旧ソ連で開催された「チャイコフスキー・コンクール」の審査の内情を描きながら、プロのピアニストたちが置かれた環境や、彼らが世に出るプロセスなどを詳述した作品。1989年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

 女流ピアニストとして広く知られた著者が、国際的に著名なピアノコンクールである「チャイコフスキー・コンクール」に審査員として参加し、その審査の模様を赤裸々に描いたノンフィクションである。案外いい加減な態度を取りながらも、見るべき所はきちんと見ている各国審査員の様子や、コンクール参加者の個性的な振る舞いなどが、率直な筆遣いで綴られていて面白い。ユーモアを交えつつも、結構シビアで容赦ない著者の観察眼を、存分に堪能できる一書である。

 それに加えて、本書の中では、世界各国からのコンクール参加者の奏法の違いや、その背景となる教育方法の違い、あるいは、名ピアニストの出現が各国に及ぼす影響などについても考察が行われており、いわば一種の優れた比較文化論にもなっている。ピアノという一つの切り口から、これだけ思索の幅を広げられるのは、著者の随筆家としての卓越した技量を示すものであろう。

 ところで、著者の夫である芥川賞作家・庄司薫のwikipediaのページには、著者の作品について、庄司による代筆の噂があることが記されている。本書を読んだ感想としては、コンクール審査の舞台裏や自身の体験談が瑞々しい筆致で綴られている一方で、ひどく観念的で硬質な議論(例えば、p103〜104のバッハ論)が展開されている部分もあり、文章の雰囲気が一貫せず、ややちぐはぐな印象を受ける面もあった。また、「なんだかひどくガンバッテル気分にさせられるのだった」(p202)といったような、いかにも庄司薫的な表現も見受けられた。

 とはいえ本書は、全体を通じて、プロのピアニストとしての経験を積んできた著者でなければ書けない内容で占められており、それらをすべて庄司が代筆したとは到底考えられないだろう。部分的に、庄司によるチェックや加筆修正が入っている箇所はあるのかもしれないが、そうした事実を示す証拠や独白は、当然ながらどこにも存在しない。庄司ファンとしては気になる論点ではあるが、著者が幽明境を異にした今、この辺りを掘り下げようとすることは、そもそも無粋な真似なのかもしれない。

posted by A at 19:56| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2018年10月08日

【本】祐嶋繁一「秘境・南アルプス深南部 逡巡山行記」

「秘境・南アルプス深南部 逡巡山行記」 祐嶋繁一/山と渓谷社/2015年

 南アルプス深南部というマイナーな山域に通い続けた著者が、その登山記録の中から印象的なものをピックアップしてまとめた本。

 1994年から2014年までの21年間で、実に412回の登山を行い、そのうち207回が南アルプス深南部への訪問だったという著者の山行記録集である。まともに登山道もなく、他の登山者にさえ出会わないような原生林の山々を、ただ一人、あるいは気心の知れた仲間と二人だけで歩き続けた記録は、山歩きを趣味とする人にとっては実に興味深い内容である。こうした意欲的な登山を行ってきた著者が、後に静岡エフエム放送の社長・会長という要職を務めている事実も、また驚かされるものである。

 この南アルプス深南部という地域について、著者は、本書の中で以下のような印象を述べている。

「深南部を一言で表現すると、『地味で静かな山域』だ。それはこの山域の置かれた位置によるものだろう。首都圏や関西圏はもちろん、距離的にはそれほど遠くはない中京圏からも、地図で見た以上にアプローチが面倒である。日帰り登山の場合はコースが制限されるし、泊まりの場合は山小屋がないのでテント泊にならざるを得ないことも影響している。高山の花に出会うことも少ない。ともかく地味で渋い山域である。
 ルートは踏み跡が不明瞭なところも多く、はっきりとした尾根歩きならともかく、広い稜線や下りルートでのあいまいな分岐では、ルート選択に相当の注意を要する。また、分岐等の標識はほとんどなく、2万5000分の1地形図、コンパス、高度計の携帯は必須で、常に自分の歩いている位置を把握していることが絶対条件となる」

 このような山域であることから、そもそも南アルプス深南部をメインに取り上げた書籍は珍しく、近年では、永野敏夫氏の著作などごく少数のものに限られている。そうした事情からか、本書の内容も、ルートの様子や所要時間など、登山の参考となるような情報の紹介に重点が置かれている観があり、やや業務的なレポートのような印象もないわけではない。ただ、後に続く登山者にとっては、それこそが貴重な記録であることは言を俟たない。本書に収録された山行記は大変稀少で、かつ実用的なものであり、これを自費出版で世に出した著者の労苦は高く評価されるべきであろう。

 ちなみに私自身は、テント泊装備を担いで、畑薙から茶臼岳(2,604m)、易老渡から光岳(2,592m)に登ったことがある程度で、深南部の核心の山々を歩いた経験は全くない。学生の頃からずっと、この静かな山域を憧れにしているのだが、仕事の多忙さや距離の遠さ、技術の未熟さを言い訳にして、長い間先送りにしたままになっている。本書を読み返しながら、いつかは深南部の山々をじっくり歩いてみたいものだと願っている。

posted by A at 21:33| 本(登山、旅) | 更新情報をチェックする