2018年03月24日

【本】松谷健二「カルタゴ興亡史 ある国家の一生」

「カルタゴ興亡史 ある国家の一生」 松谷健二/中公文庫/2002年
(初版は、1991年に白水社から刊行)

 古代地中海世界で通商国家として繁栄した、カルタゴの歴史を描いた本。

 紀元前9世紀ごろに現在のチュニジアに興り、紀元前146年にローマに滅ぼされた、海洋国家カルタゴの通史である。歴史ものの新書や文庫本の中には、マニアックな史料の解釈にこだわり、その界隈の通説を否定することに血道を上げている(=読んでいて全然面白くない)本がしばしば見られるけれど、本書は、700年に及ぼうとするカルタゴ史を平易な口調で解き明かしていて、非常に読みやすい。世界史に興味のある人であれば、面白く読める本ではないかと思う。

 カルタゴの長い歴史の中で、最もドラマチックな場面は、史上名高いハンニバルの遠征と、そして国家としてのカルタゴの最期であろう。ハンニバル敗戦の後、半世紀にわたり屈従の期間を耐えてきたカルタゴは、ローマの奸計に騙され、ついに最後の一戦に立ち上がることになる。その場面を、本書は以下のように描いている。

今度の戦争に勝てると思っていたカルタゴ人はひとりもいなかっただろう。ほどほどの戦果をあげ、講和にもちこもうとの甘い考えもなかった。全員玉砕。念頭にあったのはそれだけ。ときに前149年。
 武器はすべてさしだしてしまったので、急遽生産にかかる。寺院など公共の建物を工場とし、市民たちは夜を日についで、ありあわせの材料から、最後の戦いのための道具をつくった。日産として楯百、剣三百、投げ槍五百。それに投石用のカタパルト。そのロープには女たちが髪の毛を供出した」

 こうして覚悟を固めたカルタゴは、3年にわたる孤立無援の籠城戦を戦い抜き、ついにローマ軍によって滅ぼされる。市民は虐殺され、わずかに生き残った5万人は奴隷として売られ、都市カルタゴは徹底的に破壊される。永遠に人が住めず、作物も育たないように、跡地に塩まで撒かれたというエピソードはよく知られている。交易によって繁栄を築き上げてきた、それまでのカルタゴの歴史と対比すると、とりわけ諸行無常の感が深い最後である。


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2018年03月04日

【本】伊丹恒「復刻版 幌加内 −厳寒の地の生活鉄路・深名線とともに−」

「復刻版 幌加内 −厳寒の地の生活鉄路・深名線とともに−」 伊丹恒/共同文化社/2011年
(初版は、1996年に刊行)

 かつて北海道に存在したローカル線・深名線と、その沿線に生きる人々の姿を収めた写真集。

 1995年に廃線となった深名線と、その周辺地域の様子を撮影した写真集である。この深名線は、北海道中北部の山中と田園地帯を走る、全長約120kmのローカル線だったが、その7割近くは広大な雨竜郡幌加内町に位置していた。幌加内の町について、本書は以下のように解説している。

「幌加内は東京から1,300km、北緯44度の地に位置する北海道空知支庁管内北端の町であり、石狩川の支流である雨竜川に沿った集落を抱えているため東西に24km、南北に63kmと長細い形をしている。面積は766.65㎢で大阪府の4割にも達する広大なものであるが、そこに住む人口は平成8年5月現在、2,400人という道内でも有数の過疎地帯となっている。周囲を雨竜川の源ピッシリ山をはじめとする1,000m級の山々に囲まれた盆地となる各集落の気候は通年の温度差が70度にもなり、夏は高温多湿、冬は酷寒多雪と非常に厳しく、特に昭和53年に母子里(もしり)で記録された−41.2度という気温は「日本最寒の地」として幌加内の名を一躍有名なものにした。」

 このような過疎地域を走る深名線は、ほとんど乗客がいないことから「空気輸送」などと揶揄され、既に昭和55年の時点で、100円の利益を生みだすのに2,852円の経費を要する大赤字路線となっていた。そうした非効率な深名線が、国鉄末期の廃線ラッシュを生き延び、1995年まで存続した理由は、ひとえに沿線の道路事情の悪さによるものだった。71年間続いた鉄路がついに終焉を迎えたのは、1991年に名母トンネルが開通して、深名線の並行道路がようやく整備された、その4年後のことだった。

 本書は、こうした深名線の情景や、厳寒・豪雪の地で列車運行のために努力する鉄道員たち、質朴な生活を営む沿線住民たちの姿を捉えた写真集である。本書に収められた数々の写真からは、在りし日のローカル線の雰囲気とともに、幌加内に暮らす人々の生活ぶりを窺い知ることができる。写真の中に捉えられた、住民たちの強さや朗らかさ、そして温かさを湛えた表情は、厳しい生活環境の中で、地に足を着けて生きる人々ならではのものなのだろう。そして、この地に愛着を感じ、何度も通い続けた伊丹氏だからこそ、こうした人々の姿を引き出すことに成功したのではないかと思えた。


posted by A at 10:23| 本(鉄道) | 更新情報をチェックする