2016年05月29日

【本】糸井重里ほか編「あるとしか言えない」

「あるとしか言えない 赤城山徳川埋蔵金発掘と激闘の記録」 糸井重里&赤城山埋蔵金発掘プロジェクトチーム編/集英社/1993年

 「あるとしか言えない」という書名と、糸井重里の名を見てピンときた方は、おそらく30代後半以上の方ではないか。1990年代初期に、TBSのテレビ番組「ギミア・ぶれいく」で放送された、徳川埋蔵金発掘プロジェクトの経緯をまとめたのが本書である。やけに勇壮なテーマ曲をバックに、ユンボが深い穴を掘り返す映像を、私も子供心に見た記憶がある。

 本書によれば、元々この埋蔵金発掘プロジェクトは、番組制作会社のプロデューサーたちが「超能力者が埋蔵金を探すような番組を作ったら面白いね」などということを、飲み屋のバカ話で思いついたあたりから話が始まったのだそうだ。TBSがこの企画に乗ったため番組作りはスタートしたが、制作会社はまずメインキャスターを誰にするかで悩むことになる。「企画が企画だけに、普通のタレントさんじゃ軽くなりすぎるし、そうかと言って学者の先生じゃ堅すぎる」ということで、彼らは駄目元で、多彩な分野で活躍する糸井重里にオファーを出す。すると、大抵の仕事は断っていた多忙な糸井は、たまたま群馬県前橋の出身だったこともあり、「ひさびさに地元に帰って、超能力者と赤城山をぶらぶらするのもおもしろい」といった軽い気持ちでこの仕事を引き受けたのだった。後にこのプロジェクトにどっぷりのめり込んだ観のある彼も、埋蔵金との最初の出会いは、ごく気軽なものだったのだ。

 そして始まった最初の数回の放送では、当初のコンセプトどおり、わざわざアメリカから超能力者を呼び寄せ、オカルト的な手法で埋蔵金へのアプローチが試みられた。これが「超能力バラエティ番組」として好評を博し、20%近い視聴率を集めることになる。そして超能力者らの言うままに地面を掘り返したところ、地中の洞窟など、埋蔵金の存在を匂わせると言えなくはないような物証が見つかってしまう。このため番組は、重機を導入して本格的に地面を掘り進める成り行きとなり、結果的に気合いの入った「土木番組」の様相を呈していくのであった。

 大方の予想通り、この番組はとうとう埋蔵金を見つけることはできなかった。また、現在よりも番組制作のモラルがおおらかだった時代でもあり、もしかすると番組の展開には、多少の「やらせ」の要素もあったのかもしれない。ただ、こうした荒唐無稽な夢にはある種の抗いがたい魅力があり、ついついチャンネルを合わせてしまう番組でもあった。一向に埋蔵金が見つからないまま迎えた企画終盤の第7回放送でも、実に21.7%もの視聴率を獲得しており、娯楽番組としては十分に成功した例と言えるのだろう。


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2016年05月21日

【本】遠藤ケイ「熊を殺すと雨が降る」

「熊を殺すと雨が降る 失われゆく山の民俗」 遠藤ケイ/ちくま文庫/2006年
(単行本は1992年に岩波書店から刊行、2002年に山と渓谷社から再刊)

 山に暮らす人々の生活様式を、「山の仕事」「山の猟法」「山の漁法」「山の食事」「山の禁忌」の5つのテーマに分けて詳述した本。

 山に生きる人々の暮らしを描いた、「山の民俗学」の集大成とも言うべき一冊である。著者自身が日本全国の山々を回り、実際に目の当たりにした山間の人々の生活ぶりや、独特な猟法・漁法、昔からの言い伝えなどを、克明なタッチの絵とともに詳細に書き残している。既に消滅してしまった山仕事や猟法なども多いと思われる現在、これらの記録は類稀なものであろう。

 この本のタイトルにもなっている、熊猟に関する記述にも大いに興味を惹かれたが、ここでは、山での労働に携わる人々の食事について触れてみたい。本書の第4章「山の食事」によれば、山で働く男たちは、メンパ(檜や杉の柾目板を楕円形に曲げて作った容器)の蓋と本体に、1升もの飯をぎゅうぎゅうに詰め、弁当として山に持って行くのだという。そして午前10時になると、まずメンパの蓋側の飯を、飯の中に詰めてきた梅干しや漬け物をおかずにして食べる。その次の食事は午後2時で、以下のようにして食べるのだそうだ。

「二度目の食事のときには、メンパの蓋があいているので、それで汁を作る。具は山で採取した岩菜(イワタバコ)やフキノトウ、セリ、ミツバ、タラの芽、アサツキなどの季節の山菜。ときに沢で捕った岩魚や山女を入れることもある。魚は、近くに沢があれば、作業の合間の半時ほどの休み時間に降りていって、手摑みで捕ってくる。
 魚は腹を裂いて内臓を抜き、串に刺して焼く。塩は使わず、素焼きにする。強火の遠火で、じっくり焼いて水分を抜く。生焼けで汁に入れると生臭みが残る。(中略)
 メンパの蓋にありあわせの山菜をちぎって入れ、素焼きにした魚を入れる。持参した味噌と乾燥ワカメを加え、沢で汲んだ水を注ぎ入れる。そうしておいて、焚き火の中で焼いた石をつまみ出して器の中に落とす。(中略)
 器の中の水は瞬時にして沸騰し、間欠泉のような熱湯を噴き上げる。火力が弱ければ石を二個、三個と入れる。強い火力で、一瞬のうちに煮えたぎらせた味噌汁は格別にうまい。味噌は煮つまらず、山菜も青さを失わずにシャキッとしている。岩魚や山女のダシが出て、一層味に深みを加える。
 煮えたぎった汁が喉を焼き、五臓六腑に染み渡る。冷えた飯をかき込み、汁をすすり、岩魚に頭からかぶりつく。体の内側からポカポカとぬくまってきて、額に汗が浮く。冷える山では、焚き火の火と白い飯、そして熱い汁が何よりのご馳走である」

 本書では、この他にも様々な山の食事が紹介されているが、どれも実に美味しそうである。このような独特な料理法も、林道が四通八達して山への物資の搬入が容易になったり、そもそも山仕事に従事する者が減ってきてしまった現代では、次第に廃れていくのは避けられないことなのだろう。これもやむを得ない変化なのだろうが、長年受け継がれてきた先人の知恵が失われるのは、やはり惜しい気がする。

posted by A at 21:00| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする