2010年05月01日

【本】尾川正二「「死の島」ニューギニア −極限のなかの人間−」

「「死の島」ニューギニア −極限のなかの人間−」 尾川正二/光人社NF文庫/2004年
(初版「極限の中の人間−極楽鳥の島」は、1969年に創文社から刊行)

 一歩兵として東部ニューギニア戦に参加した著者が、絶望的な戦場における兵士たちの人間模様や軍のおかれた極限の状況を通して、戦争と人間の関係を描いた本。1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

 第20師団歩兵第79連隊の一員としてニューギニア戦線に送られた著者による、過酷な生存闘争の記録である。太平洋戦争における最も悲惨な戦場の一つと言われるニューギニアの戦いにおいて、著者は昭和18年1月のニューギニア島上陸から、ラエへの道路建設、フィンシュハーフェンの戦い、ガリ転進、アイタペの戦い、山南邀撃戦を戦い抜き、昭和21年1月に日本へ生還した。4,320名の兵力でニューギニアに上陸した歩兵第79連隊のうち、著者とともに帰国の途に就くことができたのは、僅かに60名だったという。

 連合軍の一方的な砲爆撃、そして飢えや病魔、酷暑が支配した苛烈なニューギニア戦線において、兵士たちは何を感じ、どう振る舞い、そしてどのように死んでいったのか。道無き山岳地帯をたどる苦難の撤退戦、食糧の圧倒的な欠乏、マラリアの猛威、絶望の環境に苦しむ兵士たちの心理、原住民の協力や裏切りの様子などを、著者はその鋭い感性をもって丹念に描いていく。多くの将兵が漫然と見逃していったであろう、あるいは何かを感じ取りながらも、自らの死によりそれを日本に持ち帰れなかったであろうニューギニア戦の情景を、著者は克明な文章の形にして、本書の中に書き綴っている。

「…Sも、その後半歳にも足らぬころ、病苦に耐えられず、連隊長に形式的な許可を得て自決してしまった。「美しい死」という。美しく死にたいと思う。だが、敗走の身をおこしてからは、死を選ぶ自由さえなかった。美しい死とは、何をいうのだろうか。美しい生き方はあっても、美しい死に方があろうとは思えないのだ。戦場での死を、まのあたりに美しいと感じた瞬間は、かつて一度もない。鉄の手に引き裂かれた死を、理念化してみる余裕はないのだ。一様の死しかありえない。ことばに尽くせぬ感動・衝撃――あえて言えば悲しみと怒りとである。「美しい」と「死」とは、そもそも結びつきようもないもののように思われるのである。われわれに許されているのは、のたれ死以外にないのだ。美しく死にたい、と考えたなまっちょろさを知った。」

「…そんなからだで、戦いながら点々と居を移さねばならなかった。装具を持ってもらって、いのちの限り歩きつづけた。おれの生きていることが、みんなの負担になっているのではないか、そう思うと、熱い友情がかえって切なかった。そのころ、自決するのではないかと、それとなくみんなで監視していたのだ、と後になって明かされた。形相はすでに、この世のものではなかったのだ。
 生と死との境界線は模糊としてかすみ、しかも生は苦痛であり死は安楽であるという、くっきりとした定式のなかに生きて、なぜ死のやすらぎを選ばなかったか。ことばにうつすのはむずかしいが、自分を支えていた根源のものは、自分自身に対する責任のようなものであった。それは、逃げないということである。何一つ逃避しないということ、どんな場合にも真っ向から立ち向かっていこうという単純さである。病兵に安楽死を求められたときの振舞いを反省するまでもなく、そういう心の姿勢が幾度かつまずいたのを痛いほど感じている。だが、自分自身から逃げまいとする単純さが、究極の拠りどころであったことは言いきれると思う。さらには、おれにもまだ、何かが残されているはずだ、果たすべき何かがある、そんな気がしていたのである。」

「人間が人間であるということには、学校教育も社会的地位も何のかかわりもない。人間性の問題に関するかぎり、学歴も職業も何のかかわりもなかった。それらは、身につけている衣装にすぎぬ。究極のものは、学校教育をはみ出た部分であり、社会的路線をこえたところでつくられた、より本源的なもののように思われた。それを“繊細の精神”と呼ぶならば、それは一体どこで養われてゆくものなのか。社会的に信頼されるべき人、あるいはインテリという階層に属する人々が、借り着を脱ぐように空しく崩れ、教育もろくに受けていない人物のなかにも、素朴な、それゆえに真正な人間の輝きをみる、という事実をどう解釈すればいいのだろうか。烈しい生存本能は、一切の装いを剥ぎとって、裸身をさらけ出した。装いと構えを棄てたとき、あとに残るものは何なのか。それが、極限状況のなかで問われた課題であり、残酷な試練であった。
 そうした重苦しい陰にみちた黄昏のなかにあって、なお道徳的稟性は信じられていいのではないか、という一条の光を認めえたことは幸せだった。こうして生かされた、ということがその一つの証であるように思われる。人間不信を生み出すべき客観的な事実の数々を見聞しながら、直接私自身に向かってきた人は、信じられていいという反証を掲げてくれることが多かった。これは、どういうことなのか。幸せであったということ以上に、どんな場合にも信じられていい「人間」を、確かめえたように思われるのである。それは、いまなお慰めの星として、暁天に光芒を放っている。」

 戦後、著者は国文学の教授職を歴任するかたわら、平成に入ってからも戦争に関する本を著し続け、平成21年3月、91歳で逝去した。著者に長命を保たせたのは、あるいは、凄惨な体験を具現化する使命感であったのだろうか。

posted by A at 09:21| 本(戦記) | 更新情報をチェックする