2010年01月09日

【本】高木俊朗「抗命 −インパールU−」

「抗命 −インパールU−」 高木俊朗/文春文庫/1976年
(初版「抗命」は、1966年に文藝春秋から刊行)

 太平洋戦争のインパール作戦で佐藤幸徳・第31師団長が引き起こした、いわゆる「抗命事件」の実相を追った戦記。

 1944年春、太平洋方面の戦いで連合軍に押されていた日本陸軍は、ビルマ戦線でインパール作戦を発起した。これは、インド東端の都市・インパールを攻略し、インドから中国への補給ルートを遮断するとともに、インド独立の機運を煽ることを狙うものだった。

 しかし、補給を無視した乱暴な作戦は、連合軍の反攻と雨季の到来を前に行き詰まり、その中で、前代未聞の「抗命事件」が発生する。すなわち、インパールを目指した日本軍3個師団のうち、第31師団(烈兵団)が、軍が約束した補給が全く行われないことなどを理由に、軍命令に反し独断で退却したのだった。本書は、この「抗命事件」の実像を明らかにすべく取り組んだ一書である。

 日本軍の参加将兵約8万6千のうち、実に7万以上の戦死者・戦病者を出したとされる凄惨なインパール作戦について、著者は次のように述べている。

「今もなお、インパール作戦には、多くの疑問をいだき意欲をそそられるのである。それは、戦術上の優劣や戦闘経過などの動きよりも、その背後にある人間に、多くの問題があるからである。この戦争を作りだした人間が、どのようなものであったかという点である。その愚かしさ、その恐しさ、そのむなしさが、この作戦ほど顕著にあらわれた例はすくない。」

 著者が言うように、インパール作戦は、「人間」に由来する悲劇であった。特に、作戦を直接指揮した第15軍司令官・牟田口廉也中将の資質が、この大惨事の主因となった。第15軍司令部情報班の中井悟四郎中尉は、牟田口軍司令官の人となりについて、以下のように書き残している。

「烈兵団長が退って行った翌日、司令部将校は全員、この神々の座と言うか、かの祝詞の座付近に集合を命ぜられた。ふらつく足を踏みしめ、弱った将校の手を引きながら、ようやくの思いで登りつめた頂上に、十坪ばかりをきれいに地均しし、その上に白砂を二寸ぐらいの厚さに敷きつめ、周囲には青竹を風流に切って、粋な籬(まがき)をしつらえ、丸太を美しく削って鳥居を建ててある。
 副官の話によると、軍司令官の遥拝所だそうだ。毎早朝、彼はここに土下座して、在天の神々に対し、己が武運を守らせ給えと、叫び続けるのだそうだ。もう彼の頭には神頼み以外の良策が浮かんで来ないらしいのだ。
 しばらく待たされていると、軍司令官が出て来た。そして、あるいは激しく、あるいは悲痛な声をあげ、時には涙声さえまじえて、山上の垂訓ならぬ訓示を始めたのである。

『諸君、佐藤烈師団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にはならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕で行くんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる。毛唐の奴ばらに日本が負けるものか。絶対に負けやせん。必勝の信念をもってやれ。食物がなくても命のある限りやり抜くんじゃ。神州は不滅であることを忘れちゃいかん』

 この声涙共にくだる一時間余りの長広舌のため、あちらでも、こちらでも脳貧血を起して卒倒する者が続出した。高橋、薄井の両参謀も倒れた。それでも彼はいっこうに山上の迷言狂訓をやめようとはしなかった。神州不滅論も時により結構だが、栄養失調の私達将校には立って居ること自体が懸命の努力なのである。大尉以下の下級者には、人間が食うような物は何一つ当らないのだ。ようやくにして訓示も終り、彼は専属副官を従えて軍司令官宿舎の方へ帰って行った。私達は救われた思いで、それぞれの瀬降りへ帰ったのである。
 このころは、もう軍司令部としての機能は麻痺してしまって居た。重症患者が半数を越し、他の半数もどうにか起きて居られるに過ぎない患者なのであった。参謀達も、戦闘指導だ、やれ後方兵站の確保だと、出払って不在の者が多く、軍司令部はひとしお、さびしくなりはてていたのである。」


「牟田口軍司令官が、藤原参謀の机の所へやって来て、私達部付将校の前でこんな事を言った。

『藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を失った事は、司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵ない意見を聞きたい』

 と、いとも弱々しい口調で藤原参謀に話しかけた。私達は仕事の手を休め、この興味深い話に耳を傾けた。彼は本当に責任を感じ、心底からこんな事をいい出したものだろうか。自分の自害を人に相談する者があるだろうか。彼の言葉は形式的な辞句に過ぎないものではなかろうか。言葉の裏に隠された生への執着が、言外にあふれているような疑いが、だれしもの脳裏にピンと来た。藤原参謀はと見ると、仕事の手を一瞬もとめようとはせず、作戦命令の起案の鉛筆を走らせていた。司令官には一瞥もくれようとせず、表情すら動かさず、次のようなことを激しい口調で言われた。

『昔から死ぬ、死ぬと言った人に死んだためしがありません。司令官から私は切腹するからと相談を持ち掛けられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めない訳には参りません。司令官としての責任を真実感じておられるなら黙って腹を切って下さい。だれも邪魔したり止めたりは致しません。心置きなく腹を切って下さい。今度の作戦の失敗はそれ以上の価値があります』

 と言って相も変らず仕事を続けている。取りつくしまもなくなった司令官は『そうか、良くわかった』と消え入りそうな、ファッファッと、どこか気の抜けた笑い声とも自嘲ともつかない声を残して、参謀の机の前から去って行った。私達は何事もなかったように各自の仕事を再開しながら心の中で思った。司令官は死ぬ積りは毛頭ないのだ。大勢将校のいる前で参謀に相談し、参謀から、切腹を思い止まるよう忠告する言葉を期待していたのだ。そしてこの寸劇により、司令部内外への宣伝価値をねらったのに違いない。ところが案に相違した参謀の言葉に、この演出は失敗に終ったのだ。卑怯卑劣という言葉が、この場合の司令官の言動に最も適した言葉であった。」


 「抗命事件」の主役となった佐藤師団長は、この牟田口軍司令官や、牟田口中将と一緒になって作戦を推進した軍の上層部について、戦後の回想録でこう記している。

「結局、大本営、総軍、方面軍、十五軍というばかの四乗が、インパールの悲劇を招来したのである。」


(追記)
 この記事の続きを、こちらに書きました。


posted by A at 12:32| 本(戦記) | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

【本】森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」

「夜は短し歩けよ乙女」 森見登美彦/角川書店/2006年
(角川文庫版(2008年)で読みました)

 大学生の「先輩」が、黒髪の乙女である後輩の「彼女」の気を引こうと奮闘する、ちょっとコミカルな恋愛ファンタジー。2007年山本周五郎賞受賞、本屋大賞2位、直木賞候補作。

 リズミカルで巧妙な文章、愉快な登場人物、ファンタジックな舞台設定、そして、どんどん引き込まれる破天荒なストーリー。実に魅力的な物語だ。博識な著者が随所に仕掛ける、衒学的なパロディにもニヤリとさせられる。ライトノベル的な本かな、という先入観があってなかなか手を出せずにいたのだけれど、読み出すと止まらなくなる一冊だった。

 本書の魅力は沢山あるけれども、個人的には、ヒロインの純真なキャラクターに強く惹かれた。人を疑うことを知らない善意あふれる性格や、人の幸せを(やや勘違い気味に)祈れる純粋さ、そうした善なるもののために彼女が発揮する驚異的な行動力は、読んでいて相当気持ちが良い。そして、その天然ボケぶりや、「おともだちパンチ」とか「なむなむ!」といった小道具が、彼女の魅力をよりいっそう引き立てているのだ。

 彼女のような天真爛漫さは、我々も子供の頃にはある程度持っていたはずのものだ。けれども、歳を重ねるにつれて、我々はそれをどこかに置き忘れてしまう。そうした「失われた純真さ」への憧憬が、彼女に惹かれる理由の一つかもしれないな、などと考えたりした。

posted by A at 01:04| 本(小説) | 更新情報をチェックする