2009年11月28日

【本】高木俊朗「インパール」

「インパール」 高木俊朗/文春文庫/1975年
(初版「イムパール」は、1949年に雄鶏社から刊行)

 「無謀な作戦」の代名詞として世に知られるインパール作戦の模様を、第33師団(弓兵団)歩兵第214連隊の苦闘を中心に描いた戦記。

 昭和19年春に発起され、参加した日本軍将兵約8万6千のうち、実に7万以上の戦死者・戦病者を出したとされるインパール作戦の悲惨な実態を世に知らしめた戦記である。牟田口廉也・第15軍司令官が神懸り的に作戦を推し進める様子や、牟田口の意を受けて第15軍司令部が乱発する現実離れした作戦命令、前線の兵士が飢えながら戦っている間も酒と女にうつつを抜かす軍の高級幹部たちの姿を見るにつけ、この作戦がいかに報われない戦いであったかを、まざまざと見せつけられる思いがする。

 作戦開始に近い時期、著者は、前線に近い歩兵第214連隊の本部を訪ねている。その模様を以下に引用する。

「飛行師団の司令部で、地上部隊の展開状況を調べていると、意外な人の名があった。ビルマ=インドの国境方面に出ている歩兵部隊に、第33師団の第214連隊がある。連隊長は、作間喬宜大佐である。
 作間大佐とは、陸軍省宣伝班のころからの古なじみである。その後、作間大佐が北支派遣軍の報道部に転出になると、私も、その部の報道班員になった。
 中国の魅力の、みちあふれた北京である。私はしばしば、中国風の赤い門のある公館に作間大佐を訪ねて、酒をくみかわした。その人が、今、密林と酷熱のなかで苦闘している、という。
 酒ずきの大佐も、酒をのめずにいるだろう。
 私のかばんには、ジャワでもらったキング・ジョージがいれてある。私は、それを、何かの機会にあけるつもりで、大事にとっておいたのだ。
 私は、作間大佐を陣中みまいに行こうと考えた。久しぶりに会って、うまい酒を、のませてあげたいと思った。
 北京の、酒の借りをかえすのは今である。

(中略)

 私が訪ねて行ったことは、作間大佐には、思いがけないできごとだった。大佐の目には光るものがあった。連隊長の居室で、われわれは再会を喜び、乾杯をした。その時、情報主任という若い中尉が、いっしょに席についた。それが、長一雄中尉であった。山砲連隊長の福家政男大佐も席に加わった。
「こんな所には、報道班員なんて人はきたこともありません」
 と、ぼやいた長中尉は、連隊の情報主任で、報道も担当するということだった。
 日本酒が、たくさん、出た。
「さすがに、連隊長ですね」
 とおどろくと、
「いや、いつも、ビルマ酒をのんでいる」
 と笑った。歓待のしるしであった。私は、キング・ジョージを、兵隊の作ったらしい食卓の上においた。そして、ジャワから持ってきたものであることを、話した。
 作間連隊長は、居ずまいを正すようにして、礼をいわれた。そして、目をつぶって、小さなグラスをかたむけた。しみじみと、味わったようであった。
 私が、さらに一杯をすすめると、連隊長はグラスをふせてしまった。そして、意外なことをいった。
「こんなうまいウィスキーを、ここで、のもうとは思わなかった。これで、作間はおみやげを全部、いただいたことにする。そして、大事にとっておいて、これからの戦場で、てがらをたてた兵隊に、一杯ずつ、のませてやるつもりだ」
 と、静かに、びんをかたわらにおいた。
 私の胸には、あついものが、しみるようだった。
 それは、将たるものの、兵を愛する気持である。そしてまた、本当に酒をのみ、酒を愛する人の心である。
 私が、しばらく、言葉も出ないでいると、連隊長は、笑っていった。
「さあ、このびんを見ながら、のもう」
 ランプの光に照らされた連隊長の顔は、別人のように、黒く、やせていた。」

 こうした人情味のある部隊長が、度重なる無茶な軍命令に苦しみ、機械化された連合軍を相手に苦戦し、ついには部下のほとんどを失っていくさまは、この作戦の愚かさを浮き彫りにして余りあるものである。

 また、作戦が進むにつれて、本書には歩兵第214連隊の将校たちが多数登場してくる。その中には、大隊長代理として繰り返し前線に出て、激減した部下をまとめつつ勇戦する者もいれば、何度命令を受けても一向に前線に出てこない臆病な大隊長もいる。極限の状況の中で人間の地金が露わになる様子は、読んでいて興味深くもあり、また恐ろしくもある。


(2013.3.20追記) 末田光大尉について
 本書の中で縦横無尽の活躍を見せている、歩兵第214連隊第2大隊長の末田光大尉のその後が気になったので調べてみた。

 歩兵第214連隊のビシェンプール攻撃の最中に、連隊本部の作戦主任から第2大隊長に充てられた末田大尉は、下士官から累進した老練な将校で当時38歳(秦郁彦「昭和史の秘話を追う」PHP研究所)。第2大隊は、ビシェンプール戦で540名の人員が僅か37名まで激減したが、末田大尉はこの少人数の部隊を指揮し、敵正面からの奇跡的な撤退に成功している。

 その後、214連隊は南に向かって苦難の退却戦を続けることになるが、その中で末田大尉はそのまま第2大隊長の職に留まり続けたらしく、山之口甫「実戦インパール作戦 作間連隊の死闘」(展望社)と、部隊史である「歩兵第二百十四聯隊戦記」(非売品)に、それぞれ昭和19年12月と20年4月時点の末田大隊長に関する言及がある。「歩兵第二百十四聯隊戦記」には、214連隊が復員した昭和21年6月当時の編成表が掲載されているが、ここでも第2大隊長は末田光少佐となっている。なお、「歩兵第二百十四聯隊戦記」の名簿を見る限りでは、同戦記が刊行された昭和49年時点でも、末田光氏は存命だったようである。才覚と天運の両方に恵まれた人だったのだろう。

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2009年11月14日

【本】後藤正治「人物ノンフィクションV 孤高の戦い人」

「人物ノンフィクションV 孤高の戦い人」 後藤正治/岩波現代文庫/2009年

 一瞬の勝負の世界に生きるスポーツ選手・監督たちの姿を綴ったノンフィクション。取り上げられた人物は、松井秀喜、小川良樹、福永祐一・北橋修二、上田利治、伊達公子、岡野功・古賀稔彦・谷本歩実、仰木彬。

 松井や伊達のようなスター選手から、上田や小川のような通好みの監督まで、スポーツの世界でさまざまに活躍する人物を描写したノンフィクションである。どの項も温かい読後感を残す名編だが、例えば騎手・福永祐一を扱った一節は、所属厩舎の調教師・北橋修二との関係を丁寧に追い、味わい深い師弟関係の一例を見事に描き上げている。

 「天才」の名をほしいままにし、不慮の事故でターフを去った往年の名騎手・福永洋一の息子として生まれた福永祐一は、父と家族ぐるみで付き合いのあった北橋家と関わりを持ちながら成長する。やがて、父と同じく騎手の道を志し、競馬学校を卒業した祐一は、北橋厩舎に所属して騎手生活を送ることになる。

 北橋の庇護の下、順調に勝鞍を増やす祐一だが、他の騎手たちと同様、その成長過程において大きな失敗や怪我、酷評などを避けることはできなかった。デビュー3年目のダービーで、祐一はキングヘイローという人気馬に跨ったが、騎乗ミスから大惨敗を喫する。たまたまこのレースを府中競馬場で見ていたが、「掛かりやがった!」「馬鹿野郎!」「下手クソ!」など、スタンドには祐一を呪う罵声が飛び交ったことを覚えている。

 しかし、幾多の試練を経て、祐一は一流ジョッキーの仲間入りを果たしていく。「福永洋一の息子であり北橋修二の弟子である以上、いいかげんな仕事はできません」という彼の言葉は、彼自身の成長を何よりも物語るものだろう。一貫して祐一を外野の声から守りつづけ、一流騎手に育て上げた北橋の祐一評を、著者は以下のように拾っている。

「福永祐一のこれからに望むことはありますか――。北橋に訊いた。
『ま、なんとかかんとか添え木はいらんようにはなったが、野球でいえば二割六、七分の打者だ。はやく三割打者になって、乗り方にあれこれ注文をつけられるようになってもらいたいもんだよ』
『勝ち星をあげてるといっても、豊の半分じゃないか。なんとか普通に乗れるというレベルだ。豊が横綱ならまだ幕の内力士だ。ここ一番、ダービーに誰を頼むか。ワシだって豊に頼むよ』
『いまの乗り役は個性がない。だから競馬が面白くないといわれるんだ。プロを感心させてこそ一人前じゃないか。ま、そんなレースもなくはなかったが…。とにかくまだまだこれからだ。ちやほやするとろくなことはない』
 老調教師はついに、一言半句、甘い言葉を吐かなかった。頑固親父め――。帰り道、久々、胸のあたりがぽかぽかしていた。」

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2009年11月01日

【本】釜本雪生・くぼうちのぶゆき編著「テキストサイト大全」

「テキストサイト大全」 釜本雪生・くぼうちのぶゆき編著/ソフトマジック/2002年

 テキストサイトに関する評論や、サイト管理人へのインタビューなどを集めた本。

 テキストサイトとは、「文章を主なコンテンツとするホームページ」のことで、特に個人の日記をそのメインコンテンツとするものだ。90年代末期から00年代初期にかけて隆盛を誇ったが、より簡易に更新ができるブログなどの登場により、現在では往時ほどの勢いはない。

 本書は、このテキストサイトを取り巻く文化が最も爛熟していたと言える時期に、混沌としたテキストサイト界隈の様子を整理して記録した、貴重な一書である。特に、「侍魂」や「ろじっくぱらだいす」といった巨大サイト管理人への長編取材は、当時のサイト運営者たちの息づかいを窺わせるもので興味深い。

 本書に登場する当時のテキストサイト群を見ると、自分自身がその頃よく巡回していたものも多くて懐かしい気分になるが、現在ではその多くが閉鎖・休止に至っている。また、テキストサイトのポータルサイトとも言えた「ReadMe!」が昨年機能停止したことも、この世界の衰退を端的に表す事実なのだろう。

 しかし、自分の思いを世界に発信し、同じ趣向を持つ仲間たちとの交流を目指すテキストサイトの精神は、その形をブログやSNS、twitterに変えて、現在も見事な発展を続けている。そうした意味で、本書が描いたテキストサイトの明るい未来は、的確な予想図であったと言ってよいのではないだろうか。

posted by A at 00:20| 本(その他) | 更新情報をチェックする