2009年06月20日

【本】牛山隆信「秘境駅へ行こう!」

「秘境駅へ行こう!」 牛山隆信/小学館文庫/2001年

 全国各地の「秘境駅」、すなわち、深い山中や海岸沿いなど人里離れた場所にあって、滅多に利用する人のいないような駅の訪問記。著者のHP「秘境駅へ行こう!」の書籍化。続編として、「もっと秘境駅へ行こう!」が刊行されている(小学館文庫/2003年)。

 「秘境駅」なるものの存在を知ったのは、2001年の終わり頃のことだった。書店で偶然手に取った本書を読み、なんとなく惹かれて、次の週末、「ムーンライトながら」に乗って飯田線という路線に出掛けてみた。それまで手段でしかなかった鉄道を旅の目的に据えるのは、何やら不思議な感じがした。

 初めて降り立った飯田線の小和田という駅は、素晴らしい場所だった。静岡、長野、愛知3県のほぼ境界に位置し、最寄りの民家は徒歩25分、車が通れる道まで徒歩1時間という、いわゆる「駅」の概念からはひどくかけ離れた場所だ。電車が行ってしまうと、人工物の生み出す音は、本当に何も聞こえなかった。自分のほかに誰一人訪れる者のない世界で、次の電車が来るまでの数時間を、ただのんびりと天竜川を眺めて過ごした。

 日常が煮詰まったとき、非日常的な場所に身を置いて日常の世界を見つめ返すと、意外な発見や大きな気分転換を得ることがある。そういう意味で、人の住む世界と自然との境目にある「秘境駅」は、自分の再整理を行うに最適な場所の一つだ。集団で繰り出す旅行よりも、ふらりと一人旅に出掛ける方が性に合うという人には、「秘境駅」めぐりを一つの選択肢としてお薦めしたい。

2009年06月19日

【本】秦郁彦「南京事件 増補版」

「南京事件 増補版」 秦郁彦/中公新書/2007年

 1937年に発生した、いわゆる「南京事件」について、多岐にわたる資料を基に真相の解明を目指した一書。1986年に刊行された初版に、その後の論争の経緯を整理した「南京事件論争史」を追加している。

 発生から70年以上を経た現在でもなお議論が絶えない、いわゆる「南京事件」の実態を追究した本である。関係当事国間で大きな見解の相違があるこの「事件」について、著者は、日本陸軍の戦闘詳報や参加将兵の日記・証言などを詳細に調査し、緻密で冷静な検証を試みている。本書に示された具体的な分析を踏まえる限り、「事件」の犠牲者数に関する著者の推定は、おおむね妥当なものではないかと思える。

 また、本書の第八章「蛮行の構造」では、この「事件」が発生した背景について、兵士の集団心理に焦点を当てて解析を試みている。「南京攻略戦には納得できる戦闘目的がなく、故郷へ帰還する期待を裏切られ、苦戦を予期した兵士たちは自暴自棄的な心境になった」、「追撃戦が急だったため、弾薬、食糧の補給が追いつかず、兵士たちは徴発という名目の略奪で空腹をしのぎ、幹部も黙認した」などの理由は、著者が収集した当時の将兵の証言などに照らしても、的外れなものではないように思われる。

 ただ、この「事件」に関しては、一方の当事国が、「犠牲者数30万」という具体的な根拠に欠ける数字を掲げ、これを内政・外交上のプロパガンダに積極的に活用している現状にある。このような確信犯的な戦略への感情的な反発から、もう一方の当事国において、「そもそも南京事件など存在しなかった」という主張が幅広い支持・共感を集めることは、ある意味では避けられない流れなのではないかと思う。


(補記)
 ところで、この本の趣旨には全然関係ない話だが、本書巻末の日本軍組織図を見ると、南京攻略戦に佐官として関わり、その後太平洋戦争で将官としてニューギニア戦線を戦った将校が意外に多い。安達二十三(歩兵第12連隊長)、吉原矩(第13師団参謀)、中井増太郎(第114師団参謀)、川久保鎮馬(第9師団参謀)、青津喜久太郎(第13師団参謀)、西部ニューギニアでは田上八郎(歩兵第34連隊長)がおり、また巻末組織図には記載されていないが、深堀游亀(中支那方面軍報道部長)もそうである。単なる偶然に過ぎないのだろうけれど。

(2016.5.28改稿)


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2009年06月14日

【本】ジョン・ロルフ、ピーター・トゥルーブ「サルになれなかった僕たち 〜なぜ外資系金融機関は高給取りなのか〜」

「サルになれなかった僕たち 〜なぜ外資系金融機関は高給取りなのか〜」 ジョン・ロルフ、ピーター・トゥルーブ/主婦の友社/2007年
(2001年に主婦の友社から刊行された単行本「ウォールストリート 投資銀行残酷日記」を改題・文庫化したもの)

 ハーバード大、ペンシルベニア大のビジネススクールでMBAを取得し、一流投資銀行に就職した著者二人が、その内幕に幻滅し、退職するまでを描いた本。

 投資銀行のアソシエイトとして数年を過ごした著者たちが、その悲惨な勤務実態を赤裸々に綴った本である。曰く、ろくに活用されないのに作らなければならない膨大なプレゼン資料。その資料に対する、上司による無意味で理不尽な字句修正の山。資料作りの過酷なタイムリミットに応えるため、午前二時や五時、ひどいときは七時まで働かされ、それが週7日続く労働環境。中身の無い資料を見栄え良くするために、デザインや印刷に注ぐ無駄な労力。コピーや製本を担当するスタッフに気を遣い、時には付け届けまでしなければ資料が完成しない非能率な事務システム。そうして出来上がった資料は、収益の見通しが立たない企業への出資を勧める詐欺まがいのもの。投資資金を集めるためにこなす、物理的にも精神的にも過酷な出張の数々。そして、こうした環境で長年過ごしたため、人格まで破綻してしまった上司たち――。

 このような厳しい労働への対価として、著者たちは20万ドルを軽く超える高年俸を手にしている。しかし、仕事をする上でのこうした理不尽な側面は、どのような企業に就職しても、程度の差こそあれ直面しなければならない現実なのではないか。投資銀行で働いた経験はないが、この本を読みながら、どうも既視感に捉われてならなかった。

 また、著者らの描写が真実であれば、彼らが在籍した投資銀行の業務には非常に無駄が多く、効率化の余地がいくらでもある。その気になれば容易に改善できそうなものを、この銀行はなぜしないのか。あるいは、先に法外な報酬相場が出来上がってしまって、そのような報酬を貰うのは当然だという神話性を維持するために、後付けで報酬に見合う過酷な業務内容が生み出されているのではないか、とさえ思われた。

 著者たちよりももっと上の役職ならば実感できるであろう投資業務の本来の醍醐味や、「なぜ外資系金融機関は高給取りなのか」という本質的な理由は、結局この本では触れられていない。しかし、苛烈な労働環境で入社1年目から高給を取る若者たちの本音を覗くことができる、面白い本である。

posted by A at 21:19| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

【本】清水真人「首相の蹉跌」

「首相の蹉跌」 清水真人/日本経済新聞出版社/2009年

 小泉政権を引き継いだ安倍政権、福田政権の軌跡と、後二者が小泉元首相による「官邸主導」政治の後継者たり得なかった背景を描き出した一書。著者は日経新聞編集委員。

 本書によれば、安倍政権、福田政権の失敗の第一歩は、政権発足当時に詳細なマニフェストを掲げなかったことにあるという。先代の小泉政権は、郵政民営化に代表されるように、しばしば深刻な党内対立を抱えていたため、分かりやすいマニフェストを用意して国民の支持を集める必要があった。そして、総裁選や総選挙に勝利した後は、選挙により自らの方針に国民の信を得たとして、マニフェストに沿って強力に政策を推進していくことができた。

 これに対し、安倍・福田両政権は、その発足の際に極めて抽象的で曖昧なマニフェストしか作らなかった。総裁選時に党内の大勢の支持を得ており、党内融和の観点から、あえて対立点を生み出すようなマニフェストを作る必要がなかったのだ。このため、政権発足後に具体的な方向性を打ち出す時点で、その内容がラディカルであればあるほど党内の強い反発を招くこととなり、政策を前に進めることができなくなってしまったのである。

 そして著者は、首相権力に対する小泉元首相の冷徹なまでの考え方と、後継政権の人材配置の失敗や政局の見通しの誤りを対比して描き、「官邸主導」に対するそれぞれの認識の違いを浮かび上がらせている。延べ3回の大臣職を経験し、官僚との間で決定的な対立まで経験した小泉元首相と、大臣として省庁を運営する経験を持たぬまま総理になった安倍元首相・福田前首相との間には、権力の運用に関する成熟度に大きな差異があったということなのだろうか。

 著者は、官邸をめぐる政治プロセスに関する作品として、既に「官邸主導」(2005年、日本経済新聞社)、「経済財政戦記」(2007年、日本経済新聞出版社)の二冊を上梓している。いずれも、一般には窺い知れない政策決定の過程を詳しく描写していて、興味深い。

posted by A at 23:27| 本(ノンフィクション) | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

【本】武藤章「比島から巣鴨へ」

「比島から巣鴨へ」 武藤章/実業之日本社/1952年
(中公文庫版(2008年)で読みました)

 太平洋戦争開戦期に陸軍省軍務局長として軍部を主導し、その後近衛第2師団長、第14方面軍参謀長を務め、敗戦後にA級戦犯として処刑された武藤章中将の回顧録。大きく分けて、誕生から終戦までの来歴を記した「経歴の素描」、フィリピンでの戦いの経過を詳述した「比島戦の実相」、巣鴨に拘置された日々を綴った「巣鴨日記」の三編からなる。

 陸軍きっての俊秀と呼ばれた武藤の自伝だが、陸軍中枢部や支那派遣軍で腕を振るった佐官以降の時代の記述は、曖昧で不明確な部分が多い。特に、対支戦線拡大や三国同盟、大政翼賛運動などに関する彼の思想や行動は結果的に国の方向を誤ったものであり、この点、彼自身の手による明確な総括を期待したかったところではある。

 しかし、フィリピンでの苦戦の模様や、巣鴨での日々に関する記録は、軍人の筆になるものとしては比較的客観性を失わず、また滋味を含んだものだ。米軍に押され第14方面軍全体が窮地に陥る中、蠅を叩いている山下奉文大将に向かって、

「老将の蠅叩きおり卓ひとつ」

の句を詠み、大将から「でもここには老将はおらんよ」などと返されるさまは、苦境にあって精神の余裕を失わない彼の姿を端的に示すものだろう。

 戦後、巣鴨の獄中で旺盛な読書に励む著者は、H.G.ウェルズの「世界文化史」の中で職業将軍の頭の堅さが徹底的に罵倒されていることについて、「聡明で悧巧な将軍がいて、日々外界の新しい刺戟によって事物を変更していたら、その結果どんな軍隊が出来上るだろうか。恐らく戦争の役には立つまい」と反論を試みている。米内光政にも似たような言葉があったと記憶するが、このように軍人自身を客観的に見ることができる軍人が、当時どれほどいただろうか。著者には少年の頃から文学、思想、哲学等の耽読癖があったそうだが、惜しむらくは軍人に似つかわしくないそうした識見が、軍の中枢にある時に適切に発揮されるほど強固なものではなかったことだ。結局、彼自身も「頭の堅い」軍人の呪縛から逃れられなかったということだろうか。

posted by A at 00:05| 本(戦記) | 更新情報をチェックする