2009年02月28日

【本】原武史「滝山コミューン一九七四」

「滝山コミューン一九七四」 原武史/講談社/2007年

 進歩的な小学校教員や父母、そして児童たち自身によって展開された教育体制であり地域共同体である「滝山コミューン」の体験を、著者が30年の時を経て振り返る著作。2008年講談社ノンフィクション賞受賞。

 「滝山コミューン」はある種の理想の追求であり、その動機自体は必ずしも糾弾されるものではない。ただ、「滝山コミューン」を覆った教育方針やその具体化方策には、政治的な臭いと違和感が終始つきまとう。体制に順応できる子供にとっては素直に受け入れられるものであったとしても、著者のような個性の強い子供にとって、この世界はただ不自然で窮屈なものでしかなかったのだろう。

 「滝山コミューン」に現れたさまざまな現象の中で、個人的に特に強い違和感を覚えたのは、「ボロ班」の存在だ。「民主的」な目標に最もついていけない班に「ボロ班」の烙印を押し、一種の軽蔑の対象、さらし者にすることで、全体のモチベーションの向上を図るというシステムだが、このような行為を行った者たちは一体、「ボロ班」と蔑まれる子どもたちの立場に立って物を考えたことがあるのだろうか。

 教室における絶対的な権力者であり、信頼の対象とすべき教師から、「ボロ班」などというレッテルを貼られることは、感受性の強い子供たちには深い心の傷を残しかねないものだ。そうしたことに思いを致さず、このような冷酷なシステムを考案し、平然と実行に移すことができた者たちは、人間に対する洞察を欠いた、致命的に鈍感な人々であったと言わざるを得ない。それは時代背景を口実に頬被りできる事柄ではないし、また、彼らが右派か左派かという事実とも本質的に関係がない話だろう。

 ともあれ、周囲に対して強い影響を与える人間が一人いるだけで、個の意思を封殺する全体主義的体制がかくも容易に形成されるという事実には慄然とさせられる。長い歳月の間に、こうした事象を無自覚に消化することなく、きちんと正面から向き合い、膨大な資料を渉猟し証人を追い、その過程を鮮やかに浮かび上がらせた著者の労苦と執念には敬意を表したい。

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2009年02月09日

【本】庄司薫「さよなら快傑黒頭巾」

「さよなら快傑黒頭巾」 庄司薫/中央公論社/1969年
(中公文庫版(1973年)で読みました)

 いわゆる庄司薫四部作の第三作(ただし、第二作の「白鳥の歌なんか聞えない」より本書の方が先に刊行された)。主人公が、兄の知人の医学生や若手政治学者をめぐる出来事などを通じて、青春や理想の挫折を垣間見る物語。

 二人の魅力的な美少女も気になるけれど、やはり本作の軸となるのは、主人公の薫くん(どうしても「くん」を付けたくなる)と、兄貴を始めとした人生の先輩たちとの関係だろう。薫くんの兄貴たちは、「人生という兵学校」における頼もしい先達であり、薫くんの目には見えないことを教えてくれたり、大人として頼り甲斐のあるところを見せたりする。

 しかし、兄貴たちが頼もしければ頼もしいだけ、最後の場面で彼らが見せる泥酔した姿は、より一層強い印象を残すものになる。そして薫くんは、そんな兄貴たちのために、早朝の玄関でひたすら来るべきものを待ち続ける。社会に出て現実を知り、自分の力では敵わないことがいくらもあることを知ってしまった兄貴たちへのやさしさと、自分はまだ負けないというささやかな自負をこめて。

 庄司薫の小説には、10代終わり頃の「男の子」が抱く理想や感性がきれいに封じ込められている。もう薫くんの兄貴たちとほぼ同じ年頃になってしまったけれど、彼の一連の作品を読めば、10年ほど前、薫くんと同じくらいの歳に初めて四部作を読んだ頃の気持ちを、少しだけ思い起こすことができる。

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2009年02月02日

【本】佐藤清彦「土壇場における人間の研究 〜ニューギニア闇の戦跡〜」

「土壇場における人間の研究 〜ニューギニア闇の戦跡〜」 佐藤清彦/芙蓉書房出版/2003年

 「ジャワの極楽、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア」

 太平洋戦争中、南方に出征する兵士たちの間では、このような戯言が交わされたのだそうだ。ついに終戦まで連合軍の上陸がなかったジャワはともかく、インパール作戦を始め、フーコン・雲南戦線、盤作戦、シッタン渡河作戦と苛烈な戦いが続いたビルマ戦線は、確かに「地獄」の名に値するものだったと言えるだろう。

 では、そのビルマよりも悲惨さで上位におかれたニューギニアは、一体どのような戦場だったのだろうか。今日、ニューギニアでの戦いの模様は世間に広く知られているとは言いがたい。そもそも、ニューギニアを舞台に日本軍と連合軍が戦ったという事実自体が忘れ去られつつあると言ってよいかもしれない。

 昭和17年以来、日本軍は東部ニューギニア戦線に、実に16万もの将兵や軍属を投入した。しかし、この戦域を担当した第18軍は、圧倒的に優勢な連合軍と極めて劣悪な環境を前に苦戦を続け、途中からは食料や武器弾薬の補給も断たれ、ほぼ全滅を目前にした状態で昭和20年8月を迎えた。凄惨な戦場を生き延び、かろうじて日本に生還することができた者は、わずか1万名だったという。

 そして戦後、この地域で蒐集できた遺骨は3万数千柱。戦中、若干の敗残部隊や傷病兵が島から撤退し得たとしても、まだ幾万もの若い日本人が、この島に眠ったままでいる計算になる。痛惜哀悼の念に堪えない。

 本書は、このようなニューギニア戦線のさまざまな逸話を集めた本である。敵に追われ、食料も尽き、飢餓と病に冒された極限の状況で、鉄の規律を誇った日本軍はどのような姿を見せたのか。生きている友軍兵士を殺して物資を強奪する話。強奪どころか「食料」として同じ日本兵を殺す話。人肉食にまつわる多数の証言を読むと、人間が共食いを禁忌としている理由がよく分かる。つまり、一度人肉食を犯した者は、その行為に抵抗がなくなり、それを止めることをしなくなるのだ。友軍を殺して食べることにためらいがなくなった人間の行き着く運命は一つしかない。この本には、軍により処刑された将兵の話がいくつも出てくる。

 また、ニューギニア戦末期には、日本軍にとって禁断であったはずの部隊単位の降伏も発生した。昭和20年5月3日、陸幼・陸士出身の生え抜き将校であった竹永正治中佐率いる歩兵第239連隊第2大隊が豪軍に降伏している(いわゆる竹永事件。もっとも、一個大隊といっても既に42名しか生き残っていなかったのだが)。また、この竹永大隊の投降が契機となったのか、終戦までの間に、大尉を長とした二個中隊(いずれも十数名)の降伏も生じている。この項を書くに当たり、竹永大隊員の生存者を一人一人追っていく著者の執念には凄まじいものがある。

 このほか、ホーランジアからサルミへの撤退部隊と第36師団(雪兵団)との「皇軍相撃」の危機、安達二十三第18軍司令官の最期、ニューギニアに出征したオリンピック選手・北本正路中尉や小畑耕一中尉の活動、戦前の流行歌手上原敏の消息と最期など、ニューギニア戦線で起きたさまざまな出来事が幅広く収録されている。知れば知るほど救いのない過酷な戦場であったことが明らかになるが、こうした悲惨な戦いを繰り返さないためにも、我々はこの戦争のことをもっと詳しく知っておくべきなのかもしれない。

posted by A at 00:15| 本(戦記) | 更新情報をチェックする